04.「誘惑と脅しに負けた産婦人科医から外科医への転身」

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岡田晋吾 ままならぬ医者人生

防衛医大の研修医生活は外科系、内科系、それから整形外科などを回ります。

そして最後の6か月をほんちゃんと言っていた自分の所属の科(私の場合は産婦人科ですが)を回ることになります。

外科系は6か月で私は最初の3か月は救急医療を選択しました。

そのあとを第二外科にいくように申請をしていたわけです。

消化器や乳腺の手術ばかりの第一外科よりも、

心臓の手術をたくさんやる第二外科の方が学生時代からかっこよく感じていて、

どうせ将来は産婦人科をやるんだったらかっこいい科を3か月でも回っておこうと思ったわけです。
さて、その最初の救急医療を回っている間も研修医は救急病棟に入っている第一外科と第二外科の患者さんを受け持って手術に入ります。

救急病棟ですから盲腸の患者さんもいます。

運が良ければ盲腸(急性虫垂炎)の手術をやらせてもらえるということで、

根が手術好きですからできればやってみたいという気持ちがありました。

そういう気持ちでいるとあるとき第一外科のM講師が

「岡田君、産婦人科をやめて第一外科に来るって言ったら優先的に盲腸の手術やらせてあげるんだけどね」と甘い言葉をかけてきました。

そのうえ、5年先輩のH先生は

「岡田、おまえの昼の弁当は第一外科の医局に毎日取っているから食わなくても金払えよ」とか言って、

何とか私を産婦人科から第一外科に変更させようという作戦が進行していたようでした。

実はこの二人で今から増えるであろう大腸外科のグループを新たに作るにあたって、

明るくて楽しそうな外科系志望の研修医を探していたようでした。

しかも外科病理が少しでも読める私は願ってもない存在だったようです。

M講師は私が学生のときから狙っていたらしく、

そう言えば第一外科を回った後に受け持ちだった患者さんが良くなったからと言って、

医局の秘書さんたちも誘ってフランス料理に連れて行ってくれたのもその布石だったのかもしれません。

お金を取られるならもったいないと思って第一外科の医局に弁当を食べに行きますが、

教授以下医局の先生たちはなぜこの知らない研修医はこの医局の部屋で食べているんだろうと怪訝そうな顔で見ます。

それは食べにくいものでした。

しかもこのころの教授はイケメン好きで有名で、医局員もイケメンを誘うと言うことでしたから、

そのカテゴリーから少し外れている私にとっては余計に居心地の悪いものでした。

しかも毎日、毎日このH先生、M先生の二人から「岡田、いつ外科に移るの?」と責められ、

あげくには「岡田、早く決めないと産婦人科からも外科からも嫌われるよ?」などと

わけのわからない脅しをかけられました。
そうこうしているうちに目の前に盲腸の患者さんがあらわれ、

誘惑と脅しに負けた私はついに第一外科に医局を変更することになりました。

そしてついに生まれて初めての手術、盲腸の手術をやらせてもらいましたが、

高校生の男の子でしたが、大きく開けてわけのわからないうちに終わった初手術でした。

初手術と言ってもここ掘れわんわん状態で言われるままにやっただけですがうれしいものでした。

しかしこの盲腸と自分の産婦人科医としての輝かしい将来とを引き換えてしまったわけです。

自分がこの世に生まれさせてくれた帝王切開の手術をやってみたくて産婦人科を選び、

学生時代にもう学会発表も済ませていて将来を嘱望されていたのに…、

この悪魔のような二人の先生によってまだ世間知らずの若い研修医の産婦人科医としての将来は閉ざされたのです。

でも巧みな誘惑と脅しに負けたとは言え、外科医を選んだのは自分自身です。

選んだ以上、まずは外科医としてたくさんの手術を経験して、

自信を持って患者さんの治療に当たれるようになろうと言う強い気持ちをもったことも事実です。

医者人生のたった初めの3か月で進路が変わりました。

まさにままならぬ医者人生ですね。

※掲載内容は連載当時(2012年12月)の内容です。