17.「恩人M講師とイケメン」

岡田晋吾 ままならぬ医者人生

さて、大学にもどって外科医として専門研修を始めた私です。

そう言えば、先日大阪に講演に行ったときに、

息子がお世話になっている病院を見てみようと行ってみました。

伊丹空港から近い病院ですが、日曜日なのに息子がいました。

専門医制度が変わるせいで専門医の資格を取れるまで10年かかるそうです。

大変そうですね。

我々のころの外科は今とは違って乳がんも胃がんも大腸がんもなんでも手術するのが外科医でした。

つまり手術の執刀医についてはあまり臓器ごとの専門性がまだはっきりしていない時代だったわけです。

ただこのころから研究については臓器別にグループができ始めていました。

私を外科に誘ったM講師は大学に来た時にこれからは大腸がんが増えるだろうという風に考え、大腸を専門に選ばれていました。

ということで、私も大腸を専門にすることになりました。

さてこのM講師は私を産婦人科から外科に変えただけでなく、

その後の医者人生でもいろいろな場面で関わってくる恩人です。

今回少しこの先生のことを書いておきましょう。

そのころの外科教授は前にも書きましたがイケメンの先生が大好きでした、

別にゲイとかではなかったとは思いますが、

お弟子さんはイケメンが多く、入局者でもイケメンが優遇されるという感じでした。

もちろんイケメンではない(涙)私は残念ながら教授の弟子とも思われていませんでした。

そのイケメン弟子たちの中でも飛び切りのお気に入りがM講師で、

教授が防衛医大の教授になることが決まったと同時に米国留学先から呼びもどしたほどでした。

身長182cm、男前で東大医学部卒のM講師は頭ももちろん良く、

物腰も柔らかい先生です。

医局員たちはみんな次期教授はこの先生がなるだろうと思っていました。

私からするとエリートコースを歩む先生だからもっと気楽に生きたらいいのにと思うのに、

朝は7時前に来て医局仕事、

外来や手術をこなして夜は22時過ぎまで教育や研究をされていました。

でもこんな先生がなぜか身長164㎝のちんちくりんでイケメンじゃない私のことをとても好きなようでした(笑)。

学会に行くときはいつも一緒で美味しいものを食べさせてくれて、

クラブに連れて行ってくれたりしていました。

そういう時はさすがに弾けていてクラブのお姉ちゃんに僕は高校の美術の先生だからと言って何かわけわからない絵を他人の名刺に書いて渡したりしていました。

まあ遊び方としては今一つでしたけどね。

ある時、この先生が膵がんの患者さんを受け持つことになって膵頭十二指腸切除術を行うことになりました。

あまり経験できない難しい手術でしたのでとても緊張されていました。

私も助手で入ることになっていたので先輩たちに手術の本を借りて早めに帰りました。

そして翌日手術が始まりました。

M講師もいつもの大腸手術とは違って冗談の一つも言わずに、術野に専念しています。

2時間くらいほどした時に先輩たちがぞろぞろと手術室に入ってきました。

みんなニヤニヤしています。

M講師もその雰囲気に気づいたらしく、「おい、みんなどうした?」と聞かれました。

すると先輩の一人が「岡田、昨日居酒屋に行かなかった? そこに行くのに乗ったタクシー会社から連絡があって、病院から女の人と乗せた先生が手術の本とかすべて車の中に忘れていて、その本が俺がお前に貸した本で俺の名前が書いてあったからと医局に電話があったんだけど、こら、誰と行ったんだ~~」と暴露。

私は一瞬で凍りつきました。お世話になっている先生の大事な手術だから早めに寝て体調整えてきましたと言って朝にほめられたばかりでしたから、相当怒られると覚悟しました。

でも足で蹴られただけで許してもらえました。

先輩たちはM講師はいつも厳しいのに岡田だけには優しいと不満そうでした。

う~~んよほど好きだったのかなあ。

あらためて言いますが、ゲイの医局ではありません。