02.「モッキンポット師の後始末」 井上ひさし

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山中英治 文学? 散歩

「モッキンポット師の後始末」 井上ひさし

「モッキンポット師の後始末」 井上ひさし

日本は宗教がテキトーであることも,

往生際が悪く緩和ケアがうまくいかない理由であると言う人がいます。

確かに妊婦さんは寺で腹帯を授かり,

生まれてからは,神社にお宮参り,七五三も神社,

クリスマスにツリーを飾り,バレンタインデーにチョコレート,

結婚式が教会か神前かは新婦が着たい衣装次第,

初詣に神社に参り,地鎮祭に神主さんが来て,

厄払いに寺に行き,葬式は坊さんが経を読む,

確かに無茶苦茶ではあります。

結局,宗教なんて深入りしない方が身の為であるという

賢明な国民であるという捉え方も一理あるでしょう。

実際,臨床現場では往生際の極めて悪い宗教家の方も少なくないようです。

お盆は墓参りの季節ですが,

先日墓参りに実家に帰っていた知人が言うには,

お盆は檀家回りで多忙だからと,

お寺から墓参りの日を期日指定されたそうです。

当然その日はお墓が満員で,

住職は墓前読経を分担するのにアルバイトの仏教専攻?の大学生を雇ったらしいのですが,

この学生が戒名にある難しい漢字は読めなかったそうで,

住職に何回も訊くので,

住職はイラついて「そんなもの,適当に読んでおけば良い」と「指導」していて,

知人は驚いたと言っていました。

しかも「片っ端から,片付けて行くぞ」と発破をかけていたそうです。

ビジネスと割り切っておられるのが,

ある意味正直でかえって好感が持てるとも言えなくはありませんね。

当方も暑いのに意味不明なお経を聞いて,

有難いと思っている若い?人は少数だと思いますと書くと叱られるでしょうか?

戦後は邦楽よりも洋楽を聴いて育った人が多いでしょうから,

お経よりも賛美歌やレクイエムの方が心地よいのは無理も無いと思います。

私も無宗教ですが,自分の情操教育のために地元の合唱団に入っておりまして,

昨年はフォーレのレクイエムを管弦楽団とともにホールで演奏して,

とても気持ちよかったです。

来年はモーツアルトのレクイエムの予定なので,

毎週土曜の夜の練習はきついのですが,頑張ろうと思います。

団員は高齢者も多く,ご多分に漏れず皆さんたいてい無宗教なのですが,

自分の葬式は絶対お経よりもレクイエムで送って欲しいと口を揃えておっしゃいます。

確かに聴いているとお経よりも成仏?できそうな心地よい気持ちになります。

さて,「モッキンポット師の後始末」ですが,

著者の井上ひさしさんもお亡くなりになってしまいました。

氏の名作人形劇「ひょっこりひょうたん島」が懐かしい読者は50歳代前半でしょうか。

モッキンポット師はミッションスクールの,今で言う学生部長担当教官です。

宗教系の学校の学生だからと言って,

決して大人しい信心深い者ばかりでは無いのは,

その種の学校の卒業生の方々は良くご存知だと思います。

私の外科の後輩も仏教系高校出身者は多いのですが,

皆さん校則違反の咎などで「般若心経100枚写経」の経験が豊富です。

モッキンポット師の学生も食糧難の時代の食べ盛り年代という背景もあって,

さまざまな神父を困らせるような,良からぬ食料調達を企みます。

ストリップ劇場の「浅草フランス座」でアルバイトをするのですが,

神父には日本の「コメディフランセーズ」みたいな国立劇場ですというような

嘘をつくという具合いで,

学生たちは般若心経ならぬ「アヴェマリア1000回」の罰をしょっちゅう受けます。

神父は学生に迷惑をかけられっぱなしで,

後始末の弁償などをする度に自分のお小遣いが減るので,

ご自身も常に素寒貧なのですが,

彼らを可愛いと思っている気持ちが良くわかって,微笑ましい師弟関係です。

本来の宗教とはこの神父さんのように,

許してくれる,暖かく包んでくれるものなのでしょう。

そして身銭を切ってでも,自分は貧乏をしてでも助けてくれる,

親のような気持ちで接してくれるのが,真の宗教家なのでしょう。

私は日頃の行いが悪いせいか,自身が煩悩の塊であるせいか,

まだそのような質素でありがたい宗教家の方に出会ったことはありませんが,

そのような宗教家がたくさんおられる国になれば,

多くの人々の心が癒されることでしょう。

※掲載内容は連載当時(2010年8月)の内容です。

01.「白鯨」メルヴィル