13.「自衛官と医師の2つの立場」

岡田晋吾 ままならぬ医者人生

先日、若草第一病院の山中先生とお会いした時に、

いつも読んでいるけどいつまで研修医の頃のことを書いているの? と聞かれました。

このツ・ナ・ガ・ルはまだあと100回は続くだろうから、

ゆっくり書いているつもりですけどね。

ということで、今回で研修医時代は終了の予定です。

先日、久しぶりに三軒茶屋に行ったので、自衛隊中央病院の前を通ってみたけど、

とってもきれいで立派な病院になっていてびっくりしました。

私が研修を受けたころから30年近くたっていますからね。

さて研修医が終わると、2年間、自衛隊地区病院や部隊勤務となります。

防医大の卒業生の人事権は医局にはなく自衛隊がもっているんです。

私は7期ですが、みんなの行きたい地区病院は先輩たちで埋まり始めていて、

多くの同期が部隊勤務になる可能性が高いとのことでした。

同じ部隊でも関東や大都市近郊の部隊なら、

その近くの病院に勉強に行って手術などたくさん経験できます。

でも自衛隊の部隊はそういうところばかりではありません。

北は北海道から南は沖縄まで、島だったり、山の中だったりします。

先輩が一人でも行っている部隊なら安心ですが、

初めて行く部隊はやっぱり医者としても、自衛官としても不安なのでみんなドキドキでした。

そのため要領のいい同級生たちは先輩に情報をもらったりして、

なるべく良いところに行けるような希望を出します。

そのころ、我われ同級生のなかで行きたくない部隊として北海道の帯広駐屯地、

山形の神町駐屯地があげられていました(失礼)。

どちらも先輩がいなくて寒そうで、田舎だろうと言う情報だったからです。

私はどこでもいいと思っていました。

2年間ならあっという間だろうと思って、適当に希望を書こうと思っていました。

でも1年先輩の先生から、

群馬の新町駐屯地が募集しているからそこを希望して一緒にやろうよと言われたので、

よくわからないけど新町駐屯地を希望したら、運よくそこに配属となりました。

先輩が3人おられて、私の同期が3人、一つの駐屯地に医官が6人ですから恵まれています。

6人もいるので週に2,3回駐屯地の診療所で診療して、

あとは大学病院などで研修を受けに行って良いとのことでした。

しかも所沢から関越高速で1時間ちょっとで通勤できると言うことで恵まれた環境でした。

私の先輩は大学病院で手術などを定期的にやっていましたが、

私まで大学病院で研修受けるとなると後輩たちの手術がなくなってしまうとのことで、

教授が研修先として小平の公立昭和病院外科を紹介してくれました。

防衛医大の第一外科は東大の第一外科系列ですが、

昭和病院の外科は東大第三外科系列でした。

全く知らない先生たちのなかに飛び込むことにすごく抵抗がありましたが、

症例を経験するためには大きな病院で研修することが良いことだと思いました。

今もそうかも知れませんが、そのころの昭和病院は野戦病院並みの忙しさでした。

救急患者を原則断らないですから、急性虫垂炎、胃潰瘍穿孔、急性胆のう炎など

手術の宝庫でした。

しかも外科の先生たちはとてもフレンドリーで、

週に2日しか来られない私にも手術をさせてくれます。

私も勉強になるし面白いので、新町の部隊の帰りに患者さんを診に行ったり、

土日にも顔を出して緊急手術を手伝ったりと、

恵まれた外科医生活を送らせてもらっていました。

でも自衛隊員には違いませんから、きちんと自衛隊幹部の生活もしていました。

隊員たちの健康管理や自衛隊の演習などで新潟、長野などの部隊や演習場に

でかけていっての診療もしていたわけです。

次回は自衛隊医官の生活を紹介することにしましょう。

※掲載内容は連載当時(2015年7月)の内容です。