本連載の第2弾は、音楽の話題です。
私は、超ディープなクラシック音楽ファン。
原稿を書きながら、BGMとしても聞いています。
今回は、クラシック音楽のなかから、
オペラについて取り上げてみたいと思います。
オペラというと、
取っつきにくいと思われる方も少なくないかもしれません。
しかし、今回ご紹介するヒロインたちの生き様をお知りになれば、
私のようなオッサンなら、速攻「惚れてまうやろ〜!!」と叫ぶこと請け合い。
女性のみなさんからも、きっと深い共感が得られるのではと思っています。
オペラというと、
高貴な方々がきれいな衣装を着て歌っている
というイメージがあるかもしれません。
しかし、『カルメン』、『道化師』、『カヴァレリア・ルスティカーナ』などの作品は、
火曜サスペンスなみのドロドロのストーリー。
「愛」とか、「死」といったキーワードが激しく飛び交っています。
ワーグナー作曲の『トリスタンとイゾルデ』のラストシーンにいたっては、
『イゾルデの愛の死』といって、さきほどのキーワードをゴージャスにも合体させた展開。
「溺れ、沈み、我を忘れる…、ああ、この上ない歓び!」と意味深な言葉を最後に、
高らかなクライマックスとともにヒロインが死んでいきます。
ケガしたわけでもないし、病気でもないし、毒を飲んだとも書いてないし、
ただ愛の深さのためだけに死ぬって、
それ、正直「なんでやねん!」って思う部分もなきにしもあらずですが、
そこはひとつ、「大目にみてや〜」ってところでしょうか。
今回、とくにご紹介したいのは、ヴェルディのオペラに登場するヒロインたちです。
まず、私が涙なくしてみることのできない作品が、『椿姫』です。
主人公のヴィオレッタが、愛する人との別れを余儀なくされた上、
かねてから感染していた結核が進行し、
ただ死ぬのを待つような生活のなかで、
「さようなら、過ぎ去った日よ…」と切々と歌う悲しみ。
そんな彼女が「神様、道を踏み外した女に救いを…」と祈るとき、
オーケストラの伴奏が、天から一筋の光明が差すような美しい音を奏でます。
まさにこうした瞬間です!
私がヴェルディの作品のヒロインたちの神々しいまでの美しさに魅了されてしまうのは。
「祈る女の美しさ」にグッときてしまう場面を、
ほかにもいくつかご紹介しましょう。
古代エチオピアの王女とエジプトの将軍の許されぬ恋を題材にした『アイーダ』。
そのなかには、ヒロインが恋人の勝利を祈りながらも、
それが、奇しくも自分の父や肉親の死を意味することを嘆く
「勝ちて帰れ」というアリアがあります。
どうしていいのかわからず半狂乱になったあと、
彼女は静かに「神様、私にどうかお慈悲を…」と祈り始めます。
国同士の戦争に巻き込まれ、
この時点で、彼女の運命はもうどうすることもできません。
我々も、ただ見守るしかないのです。
そんなギリギリの状況での一途な祈り。
心を動かされない人がいるでしょうか。
『トロヴァトーレ』という作品のなかで、
自分の命と引き替えに恋人の命を助ける決心をしたヒロインの歌う
「恋は、ばら色の翼に乗って」や、
『オテロ』のなかで、死を覚悟したヒロインの歌う「柳の歌〜アヴェ・マリア」、
『運命の力』の「神よ、平和を与えたまえ」なども、
そうした「祈る女の美しさ」に耽ることのできる名場面。
このように、ヴェルディの描いた「祈る女」を挙げていくと、
まったく止まるところを知りません。
そして、極めつきは…、オペラではありませんが、
『レクイエム(死者のためのミサ曲)』の終盤、
「我を許したまえ」です。
最後の審判が行われる怒りの日、
人々が恐れ逃げ惑うなか、
ソプラノが「主よ、永遠の安息を…」と静かに祈り始めるのです。
それは、戦場のなかでひとり静かに祈りを捧げる少女をみるような、
清冽な悲しみの瞬間です。
ヴェルディの作品には、皮肉な運命にもて遊ばれ、
愛する人を失い、あるいは、愛に悩み、
生死の際の極限状態で必死に祈るヒロインが多く、
それが、時を超えて、私たちの心を深く揺すぶるのではないかと思います。
私たちは、医療者として、実際に毎日のように死と向き合っています。
そうした意味では、「死」に対する捉え方はもっと現実的で、
オペラのヒロインたちとはいくぶん違う部分があるのかもしれませんが、
「愛」や、自分自身や大切な人の「死」に直面した際の心の動きは、
きっといつの時代にも通じるものがあるのかもしれません。
みなさんも、ぜひご一緒に「祈る女の美しさ」に魅了されてみませんか?
必ずや、惚れてしまいますョ。
次回は、とっておきの、沖縄の誇る銘酒、泡盛の話題をお届けします。
※掲載内容は連載当時(2010年11月)の内容です。
http://tunagaru.org/essay/yoshida01