独立した時にHPを立ち上げているのですが、アップできず、
FBで活動報告や、なんかモヤモヤしたことを投稿しています。
最近、昔の投稿したものを読み返してみると、「ぶれてない自分」に出会います。
2011年5月12日 初めての投稿。
「昨夜は、武藤先生の地域連携コーディネーターの研修で、
退院支援の講義をさせていただきました。
母が亡くなって初めての講義だったから、こらえられるか、心配でした。
高齢者が、がんや難病や、様々な慢性疾患を伴って、老いながら、生きていく、
母を通して、その難しさ、そして最期まで、私にとって、変わらぬ母だったということ。
そして、やっぱりどう生きたいかを、支える看護や、
医療に、転換していく事が大事ですと、語りました…。
羽田空港経由で、小松空港に着きました。
同居してる姉が、心配で、帰るなんて言いながら、私の気持ちが、帰りたいんですね。
北陸も快晴です。田植えの済んだ田んぼが、優しい気持ちにさせてくれますね…」
86歳の母は、5月3日に亡くなりました。
終戦を20歳の時に迎え、小学校の教師として働きながら3人の娘を育ててくれた。
亡くなる3年位前から、少しづつ置き忘れや、
大事な事を忘れていく自分に苦しんでいました。
それでも、姉のサポートを受けながら、
最期の日まで、家族の洗濯は自分の仕事と役割を持ち、
ひ孫たちの成長に囲まれて暮らしていました。
福井に帰省すると、私は、母と二人でいる時、
『これからの事、もしもの時の事』を話すようになりました。
訪問看護や大学病院での退院支援で、多くの患者さんや家族との関わりから、
「あなたの気持ちを聞いておくことの意味」を強く感じていたし、
「母の人生」を振り返る時間を持ちたかった。
「情けない、な~もわからんようになって、どっか施設にでもいれて」
と泣きそうにいう母に、
「そんなことない、頑張って生きてきた、いい人生だった」
と共に思える時間を作りたかった。
講演でも紹介しているので、ご存知の方もいると思いますが、
私の父は58歳で腎臓癌で亡くなりました。
がんの病名告知も、DNRもない時代です。
最期、挿管して人工呼吸器をつけました。
父の事が私の仕事に大きな影響を与えたことは間違いありません。
「私は管はいらんよ、自然がいい、頼んだよ」と母は言いました。
「私はそばにはいないから、書いておこうよ、考えている事、姉ちゃんにも伝えておこう」と、
二人でノートに「リビングウィル」を書き始めました。
昔の話を聴きながら、何を大事にしたい、どんな時間が送れたらいいなと、
学生時代バスッケトボール部だったことや、
最初の受け持つクラスが男子組で厳しい先生になってしまったとか、
下宿のおばさんの話、大勢の人に守られて幸せだったと、
ACP:アドバンス・ケア・プランニング「もしもの時の事を話し合っておきましょう」は、
ライフレビュー、人生を振り返ることやなぁ、と思う時間でした。
5月3日の朝、いつも通り起きてきた母は、
「今日は休みだし、洗濯もゆっくりでいいよ」という姉の言葉に部屋に戻りました。
コーヒーを持って部屋に入った姉は、倒れている母を見つけたのです。
70代のころ見つかった脳動脈瘤が破裂したのです。
当時から、「自然がいいから」と手術を拒否して、大事に持ってました。
救急車で搬送された病院で、姉は医師に泣きながら母の思いを伝え、
綺麗な姿で家に戻ってきたのです。
FBの投稿は、葬儀後の初めての帰省の時ですね。
毎週、福井に帰り、姉と一緒に母のものを整理していました。
タンスの一番下に、使っていない綺麗なパジャマやタオルが7日分、入っていました。
「お母さん、入院する事があったら、ここから持ってきて」と言っていたと。
その奥にしまってあるノートを見つけました。
母のこの3年前からの日記でした。毎日3行くらいづつ書いていました。
「嬉しかったこと、楽しかったこと書いてよ」と私が日記を付ける事を進めて、
姉がプレゼントしたものでした。
たくさんの母の笑顔が思い出される文章、
忘れていく自分を嘆く文章もありました。
最期の半年は、字が思い出せない状況だったのかな。
空白…。
でも、亡くなる前日、5月2日、
「ゴールデンウイークで、みんな帰ってくる。掃除やら準備ありがとの。
いつも〇〇さん(姉)に大変な思いさせて、ごめんね、ありがとうね」
母は、あちらで、日記を勝手に紹介してって怒ってるかもしれませんね。
「本当は、看護婦になりたかったんや、宏子が看護大学行くって言った時、嬉しかった」
って教えてくれたのも、母とのライフレビューの時間でした。
戦争の真っただ中、一人娘が看護婦になる事は許してもらえず、あきらめたんやと。
す~っと、何かがつながって、大きな力を貰った気持ちになりました。
母の物語が、私の中で生き続けているのかな。
目指すものは「aging in place」
暮らしてきた場所で大事な人と共に、生ききることができる社会です。
前に立ちはだかる壁も、深い川もまだまだあるけど、看護の力を信じて前に進もう。