村上医師の“ことば”はストレートだ。
ジャブやフック、ブローがない。
いきなりストレートで打ち込んでくる。
その言葉は街の中にある。
街を歩き、体で感じ、紡ぎだされる。
生活の場で繰り広げられる“ことば”だ。
今、その“ことば”を受け止めろ。
正面から受け止め、打ちにいけ。
そのパンチが医療を変えていく。
第6回「街に出よ!」
私たちはいつしか次の世代に社会を受け渡します。
その時に「これが私たちの作り上げた社会だ」と自信を持って言える、
そんな社会でありたいと思います。
負の遺産を残してはいけないのです。
日本人の16歳から39歳の死亡原因の第一位は自殺です。
これだけいい医療を提供しているのに悲しいことです。
死の場が自宅から病院となり、死に触れる機会が少なくなりました。
死の閾値が低くなっているのかもしれません。
今の日本には高齢になっての死は悲惨だという風潮があります。
管だらけになって、後悔しながら死んでいく、幸せに死んでいくことができない。
だから、年を取りたくない、高齢者に敬意をもてない、負担もしたくない。
そんな将来に夢を持つことができない若い世代を生み出しているのは、
社会を動かす中心にいる私たちの世代の責任です。
しかし、それでも私はいい社会を作ることができると信じています。
健やかに生き、幸せに死んでいくことができる国です。
日本という国にはそれを叶える充実したインフラがあり、
高い教養と倫理観を備えた国民がいるからです。
医療者のみなさん、街に出ましょう。
地域の中でつながりましょう。
この街をよくしたい、最期まで幸せに暮らすことができる街を作りたい。
そういった公のこころを持った人たちと出会いましょう。
きっと、あなたは変わります。
あなたが変われば医療は変わります。
私には変わることができるという希望があります。
 
※本原稿は2013年12月15日発行の「ツ・ナ・ガ・ル15号」からの掲載です。
村上智彦 Tomohiko Murakami
「何を言われても死ぬことはない」とあるお坊さんから言われ、「吹っ切れた」という村上医師。忙しい合間を縫って羽田空港のラウンジで取材に応じてくれました。“軍事オタク”を標榜するだけあって、駐機中の飛行機に目を輝かせています。次の世代に責任を持たなければならない、そのために行動している…、いつしか“オタク”から公の顔に変わっていました。
1961年北海道生まれ。医師。北海道薬科大学、金沢医科大学医学部卒業。自治医科大学地域医療学教室で地域包括ケアを学ぶ。NPO法人ささえる医療研究所理事長。2009年若月賞受賞。2017年5月11日 逝去。