15.「モーツァルト、ああモーツァルト、モーツァルト… -その2-

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ツ・ナ・ガ・ル ハーモニー♪吉田貞夫

前回、謎を残して終わった、モーツァルトのピアノ協奏曲第27番のお話。

ワタクシが、祖母の死の瞬間を思い起こし、

「まさにモーツァルトの『晩年の傑作』!」と感動したこの作品。

透明な変ロ長調、簡潔なオーケストレーション、淡々とした語り口…。

しかし、最近の研究で、この曲が、

モーツァルトの最晩年に書かれたものではない可能性が浮上してきたのです。

その研究というのが、次のような内容です…。

この曲の自筆の楽譜に使用されていた五線紙が、

モーツァルトが1787年から1789年まで使用していたもので、

そこから類推すると、この曲の作曲年代も、

亡くなる3年前の1788年ごろなのではないかというのです。

それにしても、五線紙で作曲年代を類推するとは!

どの学問分野においても、研究手法の進歩というのは、

恐ろしいくらいめざましいものですね。

ん〜、しかし、しかし、しかしですよ、

今まで、「晩年」の傑作って思って聴いていたわれわれはどうしたらいいんでしょう。

もっというと、「晩年」の傑作と解釈して演奏していた演奏家のみなさんも、

立つ瀬がなくなってしまったことになります…。

この学説に対抗する唯一のエビデンス、

それは、作品を完成した署名の部分に記載された日付です。

署名によれば、作品を完成した日付が1791年1月5日だったことは間違いない…。

これは、どう考えたらよいのでしょう…。

想像力を逞しくすると…、未完成で放置されていた作品を、

モーツァルトが、晩年になって完成させたと考えることも可能ですよね。

そうすれば、そこに「晩年の諦めと悲しみ」が込められていたとしても、

不思議ではありません。

これなら、ワタクシや、これまでの演奏家のみなさんの面子も立つのでは?

しかし、しかし、ここで、もう一つ大きな問題が…。

あの有名なエピソード、モーツァルトのもとに「灰色の服を着た死者」が訪れ、

レクイエムの作曲を依頼するのはこの年の8月で、

モーツァルトが体調を崩すのは、10月から11月だったといわれていますから、

「晩年」といっても、神ならぬモーツァルトが、

数か月後に自分が死ぬことを知っていたとは思えません。

当時、モーツァルトは35歳…。

35歳といえば、人生まだこれから、『元気はつらつ』って年頃ですよね…。

35歳以上のみなさんは、ご自分が35歳の頃、どんなことを考え、

どんなことをして過ごされていましたか??

はてさて…、では、モーツァルトは、

いったいどんな思いを込めてこのピアノ協奏曲第27番を作曲したのでしょうか…?

当時のモーツァルトは、ウィーンでの人気も低迷、

就職もなく、生活費にも苦労していたといいます。

故郷のザルツブルクに帰りたくても、大司教と喧嘩して飛び出てきたという事情で、

帰ることもできなかったに違いありません。

確かにとても辛い状況…。

そんななかで、こんな澄み切った心境を顕す作品が書けるものなのでしょうか?

ふつうの人だったら、もっと悲壮感漂う作品になってしまうのではないでしょうか?

例えば、メンデルスゾーン晩年の最後の弦楽四重奏曲 。

不安定なヘ短調で、強い焦りと不安が表現されています。

人間って、ふつう、このくらい弱い存在なのではないでしょうか?

あるいは、逆境を、「ゼッタイに見返してやる! 倍返しだ!」って感じで、

チャンバワンバの『タブサンピング』 みたいな超ハングリーな作品とか(笑)。

※動画はしばらくお待ちください

でも、このときのモーツァルトは違ったんですよね…。

焦るでもなく、悪あがきするでもなく…。

何か、神ならぬ生身の人間でありながら、

ずっと先の自分の運命を知っているかのような…。

実は、この辺りの「浮世離れ」した部分が、

モーツァルトがモーツァルトたる由縁なのではと思っています。

そして、モーツァルトに限らず、何人かの大作曲家は、

自分がそろそろ死ぬというのを知っていたかのごとく

「晩年の傑作」というものを残しています。

シューベルトの最後のピアノソナタも、まさにそんな趣きをもった作品。

※動画はしばらくお待ちください

この作品を書いたとき、シューベルトは31歳…。

自分が31歳のとき、いったい何を考えて生きていたのか…、

本当に、考えさせられます…。

もっと広い意味では、以前にご紹介した、

マーラーの交響曲第9番も、生きながらにして、自分の死を見つめた作品ですよね。


幸い、今の自分には、まだ、自分の死というのと向かい合うような機会はないのですが、

いつかそんな日が来たとき、どんなことを考えるのだろうか、

そして、どんな言葉、どんな形見を残していくのか、

モーツァルトやシューベルトのように、淡々と、

しかも、心に訴えかけるようなものを残せたら幸せだろうな…、

そんなことを思わざるを得ません。

「人生は何かを成し遂げるには短すぎる(孔子)。」

1日1日を大切に生きていきたいですね。

次回は、料理とワインのマリアージュについて、書いてみたいと思います。お楽しみに。

※掲載内容は連載当時(2013年12月)の内容です。