結構読んでくれた人が多くて、うれしい気分になりました。
何でも書いていいと言われたので書いているけど、
知っている人達が読んでいると思うと
少しかっこつけようかなとか思ってしまいます。
でも自分の人生のことですからありのまま書いていきます。
さて前回は学生時代に病理の勉強をしていたことを書きました。
そして産婦人科への入局を決めたことを書きました。
歌って踊れる入局希望者がいるということで
若手の産婦人科の先生たちが
寿司屋で卒業前から歓迎会などもやってくれて、
ますます産婦人科医になろうと強く思いました。
さて医者になる前に医師国家試験があります。
防衛医大は全寮制であり、
給料をもらって勉強している以上
国家試験に合格するのは当たり前という雰囲気がありました。
実際、いつも100%かそれに近い合格率でした。
夏休みころから勉強を始め準備をします。
それから半年間しっかり準備すればみんな合格するはずでした。
早くみんなで医者になろうと話し合っていました。
話は変わりますが、私はそのころ今の嫁さんと同棲していました。
みなさんは全寮制なのに何故?という疑問をお持ちでしょう。
そのころ嫁さんは看護学校を卒業して働いていましたから
部屋を借りて所沢に住んでいましたのでそこに一緒に住んでいました。
点呼が終わった後に病院から抜け出して部屋に行き、
朝6時前に帰るというようなことをしていました。
やさしい友人や先輩がフォローしていてくれました。
もう時効ですが、まあひもみたいな感じですかね。
嫁さんが準夜勤務のときや深夜入りの時は
暗くて危ないので送り迎えしていました。
神田川の歌に出てくるような生活でしたが、
楽しかったです。
先日大学に行きましたが、
時代は変わり出入りがとても厳しくなっており
今ではこのような生活はできないでしょうね。
さて国家試験の準備でしたが、
私自身は順調にこなしていました。
しかしちょうどそのころ任天堂のファミリーコンピューターが発売され
みんなで勉強の合間に遊んでいました。
2月にはディスクシステムが発売されたので
試験を控えていながらみんな玩具店に並んで手に入れ、
最初のソフトであるゼルダの伝説をやり始めました。
みんなで謎が解ければ連絡し合い、
毎日ゲーム三昧でした。
そして3月に国家試験を迎え、
みんなで東京まで受けに行きました。
そして卒業式、
そのあと防医大生は陸・海・空の各自衛隊に分かれて
幹部候補生学校に入校することになります。
私は学校始まって以来の遠泳不参加という不名誉な称号をいただいていた
(逆に陸の王者とも言われていました)ので
もちろん海上自衛隊は希望しませんでした。
航空自衛隊は楽だという噂でしたが、
やはり私自身は飛ぶことよりも走ることとか得意なので陸上自衛隊を希望し、
久留米の幹部候補生学校に2ヶ月間入校することになりました。
学校では毎日銃の分解や組み立て、
山に登ったり、ほふく前進の練習している中、
ある日国家試験の結果発表がありました。
演習の途中でしたから一人ひとりテントの中に呼ばれて
合格・不合格を通知されます。
他の大学では経験できないでしょうね。
私は無事合格でしたが、同級生が7人ほど落ちました。
これはうちの大学としては非常に悪い結果でした。
国家試験に通ると曹長から二尉になり幹部自衛官、研修医となりましたが
落ちた場合はそのまま曹長でまた1年勉強しなければいけません。
無事幹部候補生学校を終えて所沢に帰りましたが、
学校から呼び出されました。
理由は落ちた学生はほとんどが私の友人たちという理由で、
どうしてこんな前代未聞の結果になったのか説明しろということでした。
確かにみんなでゼルダ伝説をやっていたのは事実ですが、
いい大人がそんなことが理由で落ちましたとは言えません。
私は理由については思いつきません、
たまたま仲の良い友人たちが落ちただけですと答えました。
ゼルダの伝説を紹介した私としては少し心苦しく感じましたが、
みんな明るく浪人生活を送っていたので安心しました。
私としても仲のいい友人たちと一緒に研修医生活を送ることを楽しみにしていましたから、
ままならない運命です。
落ちた友人たちは無事翌年合格して
今では本当に心やさしい、いい医者になっています。
あ、余計なことを書いてしまったおかげで
また産婦人科医から外科医になった理由が書けませんでした。
次回に期待してください。
※掲載内容は連載当時(2012年5月)の内容です。