08.「うれしいような悔しいような涙の内科研修卒業」

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岡田晋吾 ままならぬ医者人生

外科の研修が終わった後は内科の研修です。

そのころの内科は大きく分けて循環器内科、呼吸器内科、消化器内科の

3つに分かれていました。

私は外科を選んだので消化器内科(第2内科)を内科の研修先として選びました。

内視鏡検査を見たり、肝臓の患者さんを診たりです。

教授の外来に陪席してカルテを読むのですが、

そのころの教授はカルテをドイツ語で書いていますから、

学生時代フランス語を選択した上に試験で20点しか取れなかった私にはまったく読めません。

いつも横にいる看護師さんの方が読めるので教わっていました。

そのころの医療現場ではドイツ語が主体だったので、

食事はエッセン、患者はクランケ、胃はマーゲンなんて言葉を平気で使っていました。

最近の医局では聞かなくなり、いまや死語ですよね。

この内科講座にはウイルス肝炎の研究で有名な講師の先生がおられました。

少し変わった先生で、夜に活動性が増すので

医局員は夜に研究について教わったりしていました。

研修をしている我々も夜にファミリーレストランに連れて行ってもらっていて

いろいろおごってもらったりしていました。

まだC型肝炎ウイルスが見つかっていなかった時代で

nonAnonB肝炎という呼び方をしていました。

患者さんも多く、肝炎の研究は花形だったのです。

講師の先生は口八丁手八丁という感じだし、

すぐにおごってくれるし、学会でも活躍されているという話を聞いていて、

若手の医師からするとあこがれの存在でした。

その先生と話している時に外科と違ってあまりやらせてもらえないので、

もっといろんなことを経験したいと文句?のようなことを言ったら、

少し不満そうな顔をされてわかったと返事されました。

その夕方、急にその先生に呼びだされました。

そして「岡田、今から肝生検をやる患者がいるからお前にやらせてやる、

俺が横についているからな」と言われました。

一度二度見たことはあるけどやったことはありません。

しかも今とは違って超音波ガイド下でやるわけではなく、

ここらあたりに肝臓があるだろうと言う方向に盲目的に針を刺していくわけです。

しかも肝臓の悪い方は出血も止まりにくく不安がいっぱいです。

しかし自分が何もやらせてくれないと文句を言ったわけですから、断りきれません。

患者さんとご家族にいかにも何度もやったような顔で説明をして承諾を得ました。

そして実際にやり始めると、その講師の先生はただ見ているだけで何も言ってくれません。

何とか終わって患者さんが帰った後、

その先生は「岡田、生検は取れたけど、おまえの肝生検のやり方では出血するかも知れないな。

もしかしたら夜に腹腔内に出血して血圧が下がるかもしれないから、

その時はすぐに駆けつけろよ」と声をかけてくれました。

それからは帰っても心配で、心配で仕方がありません。

10時前に一度病棟に行って患者さんの状態を確認して、

また帰って眠ろうとするも眠れません。

そうすると12時すぎに講師から電話があって、

何かと思って取り上げたら「さっきの話はうそだから安心して寝ていいからな、

脅かしてごめんな」と言う電話でした。

うれしいような悔しいような涙が出そうな気持でした。

おそらく講師の先生が生検中に何も言わなかったのは、

正しいことをしっかりやっていると思ってくれたからだったのでしょう。

安心していたから任せてくれたし、脅かしたのだろうと思います。

こういう苦労?をしながらいろいろなことを吸収して、

いわゆるメジャーな科の研修は終わりました。

次は三宿の自衛隊中央病院に移って、

マイナーと言っていた科の研修に移ります。

私は将来外科医としてやっていくうえで役立ちそうな

麻酔科、皮膚科、整形外科を選択しました。

さてどのような研修になるのでしょうか?

※掲載内容は連載当時(2013年12月)の内容です。