04.「死と音楽 その1」

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ツ・ナ・ガ・ル ハーモニー♪吉田貞夫

前回の連載『沖縄の誇る銘酒 泡盛』を書いたのは、10年12月のことでした。

その最後を「次回は、『死と音楽』などについて書いてみたいと思います。」と

締めくくったことを、今はとても後悔しています。

なぜなら、今、「死」という言葉は、

今まで以上に簡単に口にするような言葉ではなくなってしまっているからです。
あの後、わが国は、未曾有の震災にみまわれ、

考えも及ばないようなたくさんの「死」の存在を、国民全体が目の当たりにし、

悲しみ、そして、そこから立ち上がろうとして、もがいています。

連載の第1回でご紹介した私の師匠も被災し、

なかなか支援の来ない病院で奮闘されたと聞いています。

私自身も、岩手県に医療支援に伺い、被害の甚大さ、

被災者のみなさんの苦労を自分の目に焼き付けて参りました。

改めて、今回の震災で亡くなられた多くの方のご冥福をお祈りするとともに、

被害に遭われたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。

そして、一日も早い復興と、再び笑顔で東北のみなさんとお会いできる日を心から願っています。

今回、『死と音楽』について書くにあたり、

まず注目したいキーワードは、先ほども書いた「冥福」という言葉です。

果たして、死の後に、幸せなど訪れるのでしょうか?

それは、天国? 極楽浄土?

キリスト教であれ、仏教であれ、死者が幸福に暮らす場所について教えています。

それが本当に存在するのかは、死んだことのない私達にはわかりません。

しかし、この「冥福」という言葉には、

「死者に、どこか苦しみのない地で幸せに暮らしてもらいたい」という、

われわれ生きているものからの切なる願いがこめられているのだと思います。
大作曲家たちの残した作品には、そんな死後の幸福に思いを馳せながら書いた作品が少なからずあります。

深い悲しみをたたえながらも、どこか澄み切ったような明るさと、

神々しい美しさがあって、聴く人の悲しみもすべて洗い流してくれるような作品。

今回は、そのなかから、マーラーの交響曲第9番から第4楽章アダージョをご紹介したいと思います。

交響曲第9番は、マーラーが、亡くなる前に最後に完成した交響曲です。

自分の死を意識して、悩み、疲れ果て、気力も失せかけて、安らぎや静けさに憧れながら、最期の別れを告げるように書いた作品。

今回は、YouTubeの動画をご覧いただきながらお聴きいただけるように、アドレスと演奏時間を付記してみます。

この作品、ヴァイオリンの、独りで世の虚しさを嘆くようなメロディーで始まります。

やがて、安らぎを求めるような豊かなメロディーが奏でられますが、そのなかに織り込まれる、深い嘆きのような不協和音が不吉な暗示となります。

やがて音楽が静まると、生の世界を離れて、独り、死後の世界に迷いこんだような混沌とした流れをさまよいます( 58:18~)。

♪ 突如、ホルンの響きが聞こえると( 1:03:15~)、深い闇が明け、朝が訪れたような光に満ちた音楽。

しかし、大事な家族を失った日の朝のような悲しみがずっとつきまといます。

音楽が高まった後に、神聖さを感じさせるような静けさが訪れます( 1:06:54~)。

夢の中で、清らかな光に包まれるようなイメージです。

♪ しばらくすると、ハープの伴奏で不思議な子守歌が聞こえてきます( 1:09:18~)。

死んでいく魂が、子供のころや故郷のこと、家族のことを思い浮かべているんでしょうか?

それとも、子供のころの純粋な魂へと戻っていく様子なんでしょうか?

ここなんか、私は、思わず涙があふれてしまう場面です。

♪ 子守歌が終わると、弦楽器が一斉に、別れを告げるかのような歌を奏でます。( 1:10:59~)

そして、いよいよ別れのときが迫ったことを告げるようなファンファーレ( 1:11:59~)。

大音響、最後の「とどめ」のようなシンバルの一撃( 1:12:17 )、

ヴァイオリンだけが叫び声のように甲高い音を奏で続けます( 1:12:30)。

ここからの音楽は、しばらくの間、死んでいく魂が清められ、変貌していくさまを描いていくような荘厳な部分が続きます。

♪ やがて、チェロの独奏で、ふたたび、あの別れのメロディーが奏でられると( 1:17:25~)、場面が一変します。

ここは、死を迎える寝室なんでしょうか?

消えそうになっていく息のように、か細く、何度も何度も別れのメロディーが現れ、ところどころ、何か遺言を残すようなヴァイオリンの長いメロディーも聞こえます。

これを作曲したマーラーが死んでいくのに立ち会っているかのような感覚!

ここでも、私は涙があふれてきてしまいます。

静かに、静かに、だんだん遠ざかっていくように、でも、いつまでも離れがたいかのごとく曲は終わります。

以上、私の勝手な解釈でした。

実は、この曲、自分が死んだときに、お葬式の代わりにかけてもらいたいと思っている曲なのです。

私の死を悼んでくれる人の悲しみを洗い流すために。

※掲載内容は連載当時(2011年8月)の内容です。