CSRをご存じの方は多いでしょう。
Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任)の略語です。
では、CSVはどうでしょうか?
Creating Shared Value(共通価値の創造)のことです。
経営学をかじったことのある人であれば
誰もが知っているマイケル・E・ポーター ハーバード大学教授が提唱した概念です。
これからの日本社会の方向性を探る上で大切な示唆をもたらすと直感しています。
本日はCSVについて考えてみましょう。
実は私は、経営学修士ですが
入学当初、ビジネススクールの修士課程の論文テーマを
病院版CSRにしようと考えていました。
その構想をある指導教授に相談したところ
「君はCSRの背景を全く知らないようだ。
病院のCSRをテーマに掲げることは、
自分が不勉強であることを公表するようなものだ」と一刀両断に切り捨てられました。
日本社会がどうであれ、CSRが生み出された欧米社会では、
営利企業と非営利企業とが峻別されて存在しています。
二項対立に捉えられているのです。
利潤追求の営利企業が社会の中での立ち位置を確保するためには
贖罪や免罪符的な社会貢献活動が必要であったというのが背景なのだと教えられました。
病院はというと非営利企業の範疇に入るので、
そもそもCSR活動をしなければならない理由がないのです。
病院版CSRと言う時、
営利企業と非営利企業との区別が分からないか、
あるいは病院が非営利企業であることが分からない、愚か者と思われてしまうのです。
こういう筋違いの研究テーマを選ぶと
最後の最後に論理の破綻を招くことになると警告されました。
確かに、良きアドバイスでした。
さて、CSRとCSVに話を戻しましょう。
CSRが日本から誕生しなかったのには訳があると思っています。
それは、日本企業にとっては当たり前だったからです。
松下幸之助さんの言葉にそれを感じることが出来ます。
その利益は、更なる社会貢献をせよとの世の声なのである」
日本型CSRを啓発している田坂広志氏の言葉を借りれば
「本業を通じて社会に貢献する」ことがCSRの本質なのです。
この思想は、真当な日本企業には通底しているのではないでしょうか。
CSVについても、やはり誕生した背景を知るべきだと感じました。
CSVはハーバード大のポーター博士が提唱した概念でした。
欧米では、先の日本型CSR、
すなわち「本業を通じて社会に貢献する」という骨太のCSRが
普及しなかったのだと思います。
それでも、リーマンショック以来の資本主義社会の行き詰まりを打破し、
次なる社会システムの模索が続けられたのでしょう。
そうした背景から
CSRという「社会的責任」から
CSVという「価値創造」への飛躍 が生まれたのでしょう。
「責任」から「価値」へ時代が転換したのです。
実は、「本業を通しての社会貢献」を謳う日本版CSRは、
CSVの「価値創造」さえも
既に内包していていたように私には思えてなりません。
日本社会はいま、超高齢社会となり様々な問題を抱えています。
課題先進国として、次なる転換を求められています。
私は、このような日本社会であるからこそ、
CSRやCSVを超える新たな概念を生み出せるような気がしてなりません。