コロナウィルス感染拡大防止のため、
様々なイベントが中止になっています。
外出も極力控えるようにとの政府見解もありました。
となれば、やることは、「自宅で読書」しかないでしょう。
先週末、突然の休校を指示された小学生たちが
図書館から20冊も30冊も本を借りている姿を見て、
大人の私も刺激をもらいました。
こういうときには大著に挑戦すべきでしょう。
以前からじっくりと時間をかけて読みたいと思っていた本に
道元著『正法眼蔵』があります。
仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己(タコ)の身心をして脱落せしむるなり。悟迹(ゴセキ)の休歇(キュウカツ)なるあり、休歇なる悟迹を長長出(チョウチョウシュツ)ならしむ。
「現成公案」の有名な一説です。
引用部分の手前に「しかもかくのごとくなりといへども、…」と言う表現があるのですが、
私は度々目にする道元禅師のこのフレーズがとても好きです。
より深い叡智に導こうという禅師の息遣いが感じられます。
その簡潔で格調高き文章に惚れ惚れするばかりです。
ただ今の私には、正直、理解が及びません。
この『正法眼蔵』と対峙するだけの力量がありませんので、
次善の策として、
先週末には『正法眼蔵随聞記』(以下、『随聞記』)にチャレンジしてみました。
結果的には大正解でした。
ご存知の方も多いかもしれませんが、
『随聞記』は弟子の懐弉(えじょう)禅師が、
師の教えを聞くにしたがって記録したものです。
懐弉は道元よりも二歳年上ですが、
初見で道元の力量に感服し、弟子入りしたと言います。
道元もさることながら、懐弉も相当な人物だったのだと思います。
この二者の関係は、
親鸞(『教行信証』)と唯円(『歎異抄』)にも当てはまります。
不思議なもので、師の思想を世に広めたのは
弟子の手による『随聞記』や『歎異抄』だったのです。
さて、『随聞記』に話を戻しましょう。
現代語訳がいくつか出版されています。
私は、ちくま学芸文庫(水野弥穂子訳)を読みました。
非常にわかりやすい訳で、付箋と赤線だらけになりました。
懐弉と言う第一級の人物が師に向けた直球の質問に、
師匠が倍返しの剛速球で返すというスタイルです。
どういうことかと言いますと、
弟子の質問の意図を超えて、
師匠が更なる深い理解を促すための返答をしているのです。
しかも、経典にあるような抽象的な表現ではなく、
極めて具体的な状況設定の上で、
仏道の真理を求める上での心構えやなすべき行動が示されていきます。
とても教育的な構成になっています。
例を挙げましょう。
仏道修行の世界で何百人何千人の弟子の中で、悟りを得て、法を伝えることが出来るのは一人、二人だそうです。
そこでの懐弉の質問は、秘訣や心掛けについてでした。
道元の応えは、第一に志、それが痛切でなければならないといいます。
第二に、無常を観ずることとしています。
私たちの命がいつ尽きるかはわからないのだから
今この一瞬を大切にして修行に励むべきと心底理解していることが大切なのです。
(私の文章では真意が伝わり難いと思っています。是非、本文をお読みください。)
また、こんな対話もありました。
道元禅師たちは、夜11時ぐらいまで座禅をし、
翌日、午前2時半ぐらいからまた座禅をしていたようです。
文字通り、「只管打坐」の世界です。
修行に打ち込むことが大切なのも分かるのですが、
それがもとで命を失ったら元も子もないのではないですか?
という質問に対する道元の返答は以下です(現代語訳の引用/上段写真頁)。
「たとい発病して死のうとも、やはりただ座禅をしよう。今、現に病気でもないのに修行をしなかったら、こうして宋まで来てこの身を労しても何の役に立とうか。 病気になって死んだらそれこそ本望である。大宋国のすぐれた指導者(天童如浄禅師)の門下にあって、教えにしたがって座禅して死んで、立派な仏弟子たちに葬ってもらうなら、何より第一に、未来に得道を得る縁結びである。」
道元と言う人物の次元の高さを思わずにはいられません。
仏道に限らず、真理探究の徒は、こうあるべきなのでしょう。
不朽の人生を遺された方と思います。
今の時代にそぐわないと思う人が多いかもしれませんが、
真剣に生きることは今も昔も変わらないはずです。
『随聞記』を通して、
『正法眼蔵』への挑戦心も湧いてきました。
ただ、今は時ではないと思っています。
近い将来、真正面から『正法眼蔵』に対峙し、
このメルマガで紹介したいと思っています(1回では語れない。多分…)。
(2020年3月4日)
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以下、備忘録です。
- ただ身命をかへりみず発心修行する、学道の最要なり
- 命を惜シむ事なかれ。命を惜シまざる事なかれ。 ➡貴乃花の横綱昇進時の四字熟語「不惜身命」は法華経からの引用ですが、すなわち「命を惜しんでもいけないし、命を粗末にしてもいけない」と言及。
- 世人多く善事を成す時は人に知ラれんと思ひ、悪事を成す時は人に知ラれじと思う
- 学道の人は尤も貧なるべし
- 宋土の海門禅師と元首座(げんしゅそ)の自薦の逸話
- 人は必ず陰徳を修すべし
- 俗人 龐居士(ほうこじ)の家財処分の逸話:「わたし自身すでに身のためにならないと思って捨てるのである。どうして他人に与えることが出来よう。財宝は身心を苦しめるあだかたきである。」
- 食分(じきぶん)、命分(みょうぶん)、福分
- 君子の力(ちから)牛に勝(すぐ)れたり。しかれあれども、牛とあらそはず