198. 『名もなき生涯』映画論考

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社会医療人の星

2011年カンヌ映画祭パルム・ドール賞の『ツリー・オブ・ライフ』で、

テレンス・マリック監督の存在を知った人も多いと思います。

実は、私もその一人です。

『ツリー・オブ・ライフ』は私が何度も観返す映画の一つです。

創世記の「いのちの木」からイメージしたと思われるこの作品は

生きることの深い意味を問うています。

いずれこのメルマガで触れたいと思います。

そのマリック監督の最新作が

日本でも本国アメリカより1年遅れで公開となりました。

『名もなき生涯』です。

最初の数分、いや数秒で、その映像美に心を動かされるはずです。

オーストリアの山間の農村での風景は息を呑むほどの美しさで切り取られています。

マリック作品の特徴として、自然光による絶妙な演出も見逃せません。

映像もさることながら、音楽にも注目です。

特に今回は、川のせせらぎや鳥のさえずりが

オーケストラの音楽と一体となり、映像の美しさを際立たせています。

より多くの人に観ていただきたいので、

ネタバレにならない範囲で絶賛紹介します。

物語は、兵役とヒトラーへの忠誠を拒否して信念を貫いた

オーストリアの農民、フランツ・イェーガーシュテッターと

その妻、フランチスカ(ファニ)の往復書簡を基軸に構成されています。

この話は実話であり、その手紙も現存していることが、

鑑賞者への大きく深い問いを投げかけることに繋がるのだと思います。

余談ですが、マリック監督は元々、ハーバード大で哲学を専攻し、

ナチスとの深い関係で知られるハイデッガーの研究者でもありました。

ハイデッガーの『根拠の本質について』も英訳、出版しています。

フランツの実話を知った時、マリック監督の中に何かが動き

映画製作に向かわせたのでしょう。

主人公のフランツは、若かりし頃はやんちゃで鳴らした人のようです。

その彼が、信仰心厚いファニと出会うことで、

信念の人になっていきます。

偶然ですが、フランツ、フランチスカのどちらの名前も

“アッシジのフランシスコ”に由来するそうです。

宗教的情操を元々持っていた二人なのでしょう。

印象に残った1シーンだけ紹介します。

ナチスの軍事法廷での出来事です。

『名もなき生涯』

休廷時間に判事に呼ばれたフランツは判事からこんな言葉を受けます。

「君の抗議行動は誰にも知られないし、誰にも影響を与えられない」

フランツの意地や信念は無意味だとさとすのですが、耳を貸しません。

フランツの不動の信念を悟った判事がフランに放った言葉が心に残りました。

「君は私を裁くつもりか…」

フランツが部屋を去って後、判事はフランツの座っていた椅子に考え深げに腰掛けます。

「自分ならどうするのか」を問うていたのだと思います。

イエスを裁いたローマ帝国の総督ピラトの姿が想起させられました。

ところで、フランツの信念は何に由来していたのでしょう?

彼のセリフの中にヒントがありそうです。

家族や故郷を守らなければならない背景や理屈はわかる。

しかし、単純な感情として、感覚として、人は殺せない、

この感覚は裏切れない と…。

人間としての直感が一つの根拠であったことは間違いありません。

しかし、それだけでは厳しい拷問や脅しを乗り越えることは出来なかったはずです。

キリスト教的な人間愛が根本にあったのだと思います。

もっと正確に表現するなら

ファニとの間で結ばれた信頼があったからに違いありません。

二人の名優は、素晴らしい演技でそれを表現していました。見事です。

フランツは拘置所からの移送途中、手錠を掛けられた状態でありながら、

汽車の中で婦人の荷物を棚に上げてあげたり、

倒れていた傘をもとの位置に戻したりしています。

ささいな行為ですが、

これらは社会における秩序、正義を重んじている人間の行動です。

間違いありません。

マリック監督はそれを表現していたのだと思います。

言葉では表現できない大切なことを

人間は一瞬の行動や生涯にわたる実践で伝えてきました。

「柔道」「茶道」などの「道」も

大切なものを伝えていくための手段です。

フランツの行動は自己本位だと批判する人もいるかもしれません。

愛する家族のために妥協すべきだったという声も聞こえてきそうです。

しかし、人間という存在は

本当に大切なものを残し、伝えていくために

名もなき生涯を駆け抜けることもあるのです。

映画の最後のメッセージを記して結びとします。

歴史に残らないような行為が世の中の善を作っていく

名もなき生涯を送り―

今は訪れる人もない墓にて眠る人々のお蔭で

物事が さほど悪くはならないのだ

ジョージ・エリオット

(2020年2月26日)