73.映画『エルネスト』論考

社会医療人の星

映画『エルネスト』が封切りとなりました。

チェ・ゲバラが同志としてその名を託した日系人 フレディ前村の短い生涯の物語です。

オダギリ・ジョーさんが主役を務めました。

「世界は、変えられる。」のキャッチに惹かれて、早速 観に行きました。

今週は、その映画評です。

社会医療人の星

もし我々を空想家のようだと言うなら、

救いがたい理想主義者だと言うなら、

できもしないことを考えていると言うなら、

我々は何千回でも答えよう。

その通りだと

このゲバラの意味深な言葉から映画は始まります。

主人公のフレディ前村と

キューバ革命の英雄:エルネスト・チェ・ゲバラには

二つの共通点があります。

救いがたいほどの理想主義者であり、医師であったという点です。

革命を厭わないほどの理想主義者の場合、

医師であることは大きな自己矛盾を孕むことになります。

目の前の敵を瞬時に倒すことを求められる軍人と

目の前の病人、怪我人を助けることを訓練されている医師とでは

行動が真逆になってしまいます。

同一人物の中に共存することは一般には出来ないのですが、

そこに義を介在させることで

何とか両立させられるのかもしれません。

「正義のためであれば犯罪も許される」という聖戦の理論です。

それは、理想主義者たちが飛びつきやすい概念でもあります。

フェレディやゲバラも、一部ではそう納得させていたのだと思います。

しかし、二人に関しては、もっと深い心情世界を持っていたような気がするのです。

『罪と罰』のラスコーリニコフのような

「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」という極端な世界観には、

フェレディやゲバラは決して陥らなかったと思います。

少なくとも映画の中の二人には、

そういうエリート意識は微塵も感じられませんでした。

確かに、戦争ですから殺人が行われているのですが

根底には揺るぎない人類愛があると感じるのです。

二人のデリケートな心情世界を

映画は細やかに表現していたと思います。

フレディの日常は他者への愛に溢れていましたし、

広島でのゲバラの姿にも野太い人類愛を感じました。

ゲバラを革命に駆り立てる怒りは、深い人類愛の故でしょう。

これまでの私は

人生の目的は理想社会実現だと考えていました。

限られた人生は、皆で良き社会を築くことに使うべきであろうと思っていました。

しかし、理想社会の実現のためには、

先の聖戦のような、道徳に目をつぶらなければならない時があるのです。

それを良しとすべきかどうか…。

この映画のテーマは

「どのような限界状況においても、私たちは人間性を失ってはいけない」

ということなのではないかと思います。

最近、人生の目的についての考えが変わってきました。

心の世界を深く広げることこそ人生の目的ではないかと…。

理想社会を求める心は、人間の根本欲求なのでしょう。

理想とかけ離れたこの世界は、一つの舞台設定であり、

その中で悪戦苦闘していくことで、

我々人間は、深い心情世界を獲得できるのではないかと考え始めています。

不完全なこの世界は、人間がより成長するための舞台装置なのかもしれません。

ですから、われわれが理想を掲げ努力し続けることは、あくまでも手段であり、

人生の目的は心の世界を高めていくことにあるような気がしています。

これまでの私は、理想を声高に叫ぶことで

自分は素晴らしい人間なのだと思い込もうとしていた感があります。

間違いでした。

理想主義の実現は手段であり、

深い心情世界の獲得、心の成長こそ

人生の目的とすべきなのでしょう。

理想社会実現の志半ばでボリビアの地に散った

フレディ前村とチェ・ゲバラでしたが、

二人には、もう一つの大切な共通点がありました。

それは

最期まで、正しき人であったという点です。

この映画を通して、

「To do good よりもTo be good」

の深い意味を再認識できました。

ボルビア軍のスナップ オダギリさん、現地人と区別がつかないほど、しっかり溶け込んでいます。

ボルビア軍のスナップ
オダギリさん、現地人と区別がつかないほど、しっかり溶け込んでいます。