176. 挫けそうなときの対処法:『ホドロフスキーのDUNE』

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社会医療人の星

私は年に数回、全国規模のイベントを企画するのですが、

毎回と言ってよいほど様々な問題に直面します。

企画はスムーズに行くことが多いのですが、

スポンサー探しや集客では毎回、苦労しています。

所謂、営業の部分ですが、

どうも私は苦手らしいです。

そして、何度も挫けそうになるのですが、

そんな時の対処法の一つを紹介します。

(皆さんもいくつかの手法をお持ちだと思います。)

私の場合、映画『ホドロフスキーのDune』を見ることで

かなり悩みが解消します。

ホドロフスキーは『エルトポ』などで知られる奇才の映画監督です。

日本でも多くの根強いファンがいます。

私もその一人です。

数々のセンセーショナルな作品を世に出していますが、

その天才が、一世一代の企画をしたのが

幻のSF映画『DUNE』です。

原作は、アメリカの作家フランク・ハーバートによる『デューン』ですが、

映画は原作に相当のアレンジを加えたものが計画されていました。

映画史を塗り替えるとまで言われた壮大な企画です。

さすがはホドロフスキーです。

音楽にはピンク・フロイド

皇帝役に画家のダリ、

ミック・ジャガーの出演も決まっていました。

このドキュメンタリー映画では

次々に才能あふれるスタッフに

ホドロフスキーが奇跡的に出会っていったことが紹介されます。

建造物デザインのギーガー、宇宙船デザインのフォス、絵コンテのメビウス、特殊効果担当のオバノンなど、

ホドロフスキーとの映画製作での経験を経て

彼らはそれぞれの分野の第一人者になっていきます。

結局、ホドロフスキーの豊穣なイマジネーションが

多額の予算を生み、

映画界が尻込みしてしまい、製作は中止となりました。

確かに、上映時間をとってみても、

12時間とか20時間とかでしたから、

当時の映画界では受け入れられなかったのは無理もありません。

しかし、この映画企画の影響を相当に受けた『スター・ウォーズ』が

シリーズ化していることを考えれば、

不可能ではなかったと思えます。

兎に角、ホドロフスキーは先を行き過ぎていたのです。

詳細な絵コンテは完成しており、

出演者やスタッフも揃い、あとは映像を撮るだけの段階でしたから

突然の製作中止は関係者を相当な挫折に追い込みました。

先の人材の開花のみならず、

ホドロフスキーの『DUNE』映画企画は

その後の映画界に多大な影響を及ぼしました。

この幻の映画を観てみたかったとつくづく思います。

(実はその後、1984年にデイヴィッド・リンチ監督によって映画化されています。

もちろん、ホドロフスキーのそれとは全く別物です。)

それだけに彼の落胆は相当なものだったはずです。

周囲が自殺してしまうのではと心配したほどですが、

当の本人は不屈の闘志で立ち上がり、

映画のみならず、詩、演出、タロット占い、著作など

様々な分野に活動を広げていっています。

本ドキュメンタリー映画での意気揚々とした彼の語りには

こちらが勇気づけられます。

挫折しそうな時、大挫折を乗り越えた

そのホドロフスキーの表情を思い浮かべることで、

小さな悩みは解消していきます。

私の好きな映画の一つに『マイライフ・アズ・ア・ドック』がありますが、

主人公のイングマル少年の

「人工衛星に乗せられて死んでいったライカ犬より、僕の人生のほうがまだ幸せだ」

という心情と同じです。

ホドロフスキーの挫折や損失に比べれば

自分の些細な悩みやトラブルは小さなものに思えてしまうのです。

彼の人生そのものが、私を勇気づけてくれます。

さて、当時のプロデューサー:ミシェル・セドゥとのやりとりにも

ホドロフスキーの人間味が溢れています。

事実、30年ぶりの再会を経て、

その後、2人で映画『リアリティのダンス』を完成させます。

今回、ホドロフスキーに関心を持たれた方は

是非、著作『リアリティのダンス』を読んでみて下さい。

彼の奇跡のような人生が

リアリティのダンスを舞うことで導かれていることが分かるでしょう。

リアリティのダンス

皆さんのとっておきの対処法がありましたら、

今度は私に教えてください。

2019年9月25日