2018年1月11日(木) 午後9時00分放送の
BS1スペシャル「父と子のアラスカ~星野道夫 生命(いのち)の旅~」を観ました。
彼に直接、会ったことはありませんが、
この番組をきっかけに、43歳で早逝した彼のことが思い出されて仕方がありませんでした。
今週は、「星野道夫を想う」です。
番組はご長男の翔馬さんが、
父親が愛したアラスカの自然と人々を辿っていくという構成でした。
星野道生さんが大切にした人と時間が丁寧に綴られていました。
翔馬さんについては、1歳半の当時の映像で知っていただけでしたが、
才気溢れる若者に成長し
父親と同じ慶応大学に進まれたようです。
番組によって私は、
映画ガイア交響曲、関連TV番組、著作で旧知の懐かしい顔に
久しぶりに会うことが出来ました。
懐かしさがこみ上げてきました。
ボブ・サムは相変わらず、原住民族の伝説の伝承者として
独特の不思議な雰囲気を纏っていましたし、
かつて優秀なパイロットであったドン・ロスも、
星野道夫さんと同じ優しい目を湛えていました。
そのことがとても嬉しくてなりません。
この20年間、私は慌ただしい日常を送ってきましたが
それと並行して、
アラスカの地では人と自然の静かな日常が営まれていたことを再確認できて
ホッとしています。
私はずっと、自分の人生の営みと並行して
この星野道夫的世界がこの世に存在していることに有り難さを感じていました。
彼の著作から私の好きな箇所を紹介します。
引用:『旅をする木』(文春文庫,1999年、「ワスレナグサ」)
頬を撫でる極北の風の感触,
夏のツンドラの甘い匂い,
白夜の淡い光,
見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい。
ふと立ち止まり,少し気持ちを込めて,
五感の記憶の中にそんな風景を残してゆきたい。
何も生み出すことのない,
ただ流れてゆく時を,大切にしたい。
あわただしい,人間の日々の営みと並行して,
もうひとつの時間が流れていることを,
いつも心のどこかで感じていたい。
そうです。その通りです。
この最後の一節の感覚を私は
この上なく純粋な魂の持ち主である星野道夫さんから学びました。
私は、世界の中心はどこにあるのかをすっと考えてきました。
しかし、万民にとっての世界の中心は存在しないことを
彼に教わったような気がします。
結果が,最初の思惑通りにならなくても,
そこで過ごした時間は確実に存在する。
そして最後に意味をもつのは,
結果ではなく,
過ごしてしまった,かけがえのないその時間である。
世界の中心がどこにあろうとも
自らの人生そのものが
深い意味を持ち、かけがえのないものとなっていくのでしょう。
番組の中で紹介されていた一節を紹介します。
長男の翔馬さんは、最近まで
父親の遺した膨大な映像作品や書籍を一切見なかったのだそうです。
それをこの一節を目にしてから、手に取るようになったのだといいます。
「大切に…」を繰り返すところが
私の知っている星野さんそのものです。
会ったことのない人にこれほど影響を受けるとは
自分でも不思議でなりません。
これからも彼のことを私は
折に触れて想うことでしょう。
2018年1月17日