「自己実現」という言葉を目にする機会が多くなりました。
職業人のキャリア・アップも自己実現欲求に根ざすという意見も聞かれます。
また、会社や組織では自己実現を果たした個人が注目され、
組織人のロールモデルに祭り上げられています。
自己実現欲求が高いモチベーションに直結すると信じられたりします。
果たして本当でしょうか?
まず、自己実現について言及してみましょう。
その用語は心理学用語であり
クルト・ゴールドシュタインによって命名されましたが、
それを理論化し普及させたのは、米国の心理学者 アブラハム・マズローです。
人間の基本的欲求を低次から5段階に分類し、
その最高位に自己実現欲求が存在するとしました(欲求階層説)。
- 生理的欲求
- 安全の欲求
- 所属と愛の欲求
- 承認の欲求
- 自己実現の欲求
組織のマネジメントにおいても、
第5段階の自己実現欲求がクローズアップされているようです。
組織のメンバーもマネジャーも
自己実現を果たせる組織が理想的であると思い込んでいます。
果たしてそうでしょうか?
マズロー博士は自己実現を果たした人の特徴として
客観的で正確な判断、自己受容と他者受容、純真で自然な自発性、創造性の発揮、民主的性格、文化に対する依存の低さ(文化の超越)、二元性の超越(利己的かつ利他的、理性的かつ本能的)などを挙げ、
実際に自己実現を果たした人は少ないと指摘しています。
この指摘は極めて重要です。
皆が目指すべき徳目と信じられている自己実現は、
そう簡単ではないことに気づかなければなりません。
そもそも自己実現の欲求は
承認の欲求の基盤の上に成り立つという点に注目すべきです。
むしろ普通の組織人においては自己実現欲求より承認の欲求のほうが、
現実的であり大切であると私は確信しています。
マズローの欲求階層説は、
その高潔さから多くの経営者や組織リーダーにもてはやされました。
経営者の最初の出発点は社員の成長を願うという純粋な想いでしょうが、
その価値観で組織全体が走り出してしまうと大変なことになってしまいます。
今日、一部の経営者はこの自己実現欲求に基づく組織デザインを重用(悪用?)し、
社員に自己実現への欲求を駆り立てている場合があります。
あくまでも自己実現を果たせるのは極一部の社員でしかありません。
実はその他大勢のメンバーがその幻想に向かって消耗させられているのです。
自己実現という美名の下に過大なノルマを課せられながら、
多くの社員(メンバー)が悩み多き日常を強いられているかもしれないのです。
自己実現欲求などという格好良過ぎる幻想は、
一度捨て去ったほうが良いのかもしれません。
自己実現を果たす孤高のスーパースターを求めるのではなく、
社員同士がお互いを認め合い、尊敬し合える風土を築かなければならないと
私は本気で思っています。
ここで、ロシアの文豪トルストイのエピソードを紹介しましょう。
ある日、トルストイは公園を歩いていると一人の物乞いに出会ったそうです。
その時トルストイは手持ちのお金を財布ごと差し出したそうです。
その場を立ち去る瞬間、向かい側の通りで
ご婦人たちがその行為を目撃してくれていたことに
トルストイは安堵したと書いています。
その際のトルストイの心情が、私にはよく理解できます。
『人生論』の一節だったと記憶しています。
一見、何のことはないエピソードのようですが、
そこを読んだとき、「トルストイ、あなたほどの人物でも私と同じでしたか!」と
心の中で叫んでしまいました。
白状しますと、私は殆どの場合、承認欲求で行動している人間です。
一方、自己実現の人とは、お金を差し出すことだけで満足できる人です。
その違いは天と地ほどの差があります。
組織デザインや生身の人間のマネジメントにおいては、
承認の欲求と自己実現の欲求の違いを深いレベルで理解していなければなりません。
この辺りの機微を読み間違えると生命力に溢れた優れた組織は生まれないのだと思います。
今の社会では、誰もが「自己実現」を目指さなければならないような雰囲気がありますが、
無理しなくて良いのだと思います。
承認欲求が十分に満たされる社会の構築が先決です。
承認欲求が満たされないのに、
背伸びして「自己実現」に挑まなくても良いのです。
だって、あのトルストイですら、第4~5段階を行き来していたのですから…。
2019年1月23日