139. 和顔愛語(わげんあいご)

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社会医療人の星

和顔愛語と書いて「わげんあいご」と読みます。

『大無量寿経』からの引用です。

「和顔」はやさしげな顔つきのことであり、

「愛語」は親愛の気持ちがこもった言葉の意です。

現代は、この「和顔」や「愛語」が、つくづく不足しているなぁと思います。

実は「和顔愛語」には二の句があり、「先意承問」が続くそうです。

そうして、「和顔愛語 先意承問」とは、

和やかな顔と思いやりの言葉で人に接して相手の気持ちをいたわり、

先に相手の気持ちを察して、相手のために何ができるか

自分自身に問いただすということになります。

辛いときや嫌なことがあったとき、

愚痴をこぼしたくなるとき、そんなときこそ、

自ら進んで笑顔と優しい言葉で周りの人に接する姿勢、

それが「和顔愛語」の本質です。

ところで、笑顔の力を再確認したい方はこちらをどうぞ!

ある日の朝でした。少し寝坊をしたため足早に駅の改札を抜けました。

前方に一人の初老の女性が困惑した表情で立っているのが見えました。

行き先に迷っているんだなと察しがつきましたが、

あまりに急いでいたため

声をかけられないことを祈ってその場をやり過ごそうとしました。

しかし、あにはからん、声をかけられてしまいました。

次の瞬間、私は苦笑いをしながら、懇切丁寧に電車のホームを教えていました。

このとき何が起きたのでしょう。

その女性の微かな笑みを湛えた徳のある表情に感服してしまったのです。

さらに遠慮深そうな質問の仕方に感動すら覚えました。

まさに和顔愛語でした。

患者さんにおいてもこの和顔愛語の人に出会うことがあります。

多少の悪態をついても、どうにも憎めなくて、

こちらから、つい合いの手を差し伸べたくなってしまいます。

本当に不思議です。

このような人は困っている顔も愛らしく

手助けしてあげたいと人に思わせる力があるような気がします。

これは、全く理屈抜きの世界です。

置き薬の行商さんの話では、

時々、和顔愛語を地でいくような奥さんのいる家があるそうです。

そのような家は、決まって年々その家が立派になっていくそうです。

和顔愛語の奥さんの存在によって、家自体が和顔愛語を体現しているのでしょう。

行商人は毎年、家々を回るためそれが確認できるというのです。

「笑う門には福来る」の格言そのものです。

そのようなことは様々な局面で有り得ると思います。

病院でもそうではないでしょうか?

和顔愛語のある病院は、年々発展していくような気がします。

スタッフの笑顔こそある意味、最高の財産です。

和顔愛語の実践、それは何物にも替えがたい病院にとっての宝なのだと思います。

駅の話に戻りましょう。和顔愛語の女性は多くの人を駅で見かけたと思います。

その大勢の人の中から何故、

声をかけられたくないと思っていた私に、声を掛けられたのか…。

和顔愛語の一片が私の中にもあったのかもしれない、

そんな考えに至りつつ、妙に微笑んでしまいました。

さて、先日、近親者が亡くなりました。

その存在を失って初めて、その人からの影響を認識できるような気がします。

その故人を真言宗の大僧正は、御経の中で

「和顔勤勉(わげんきんべん)」と称していました。

さすがは大僧正、言い得て妙だと思います。

となれば、私もその資質を磨かねばと期するのでした。