207. 『立て直す力』書評

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社会医療人の星

毎週のように新型コロナにまつわるテーマで書いてきましたが

今週も懲りずに取り上げます。

社会のOSが全て書き換えられるぐらいの衝撃だと思っています。

多くの人が気づいているように

これは数週間や数ヶ月で完全終息するものではなく、

年単位でつきまとうと考えられます。

コロナ対策が習慣にまで定着して

私たちのライフスタイルは大きく変わっていくのでしょう。

飛行機を使うような旅行は激減するでしょうし、

エンターテイメントも廃れてしまうのでしょう。

飲食業界もかなり厳しいでしょう。

あらゆる分野で見直しが余儀なくされるはずです。

人間の価値判断は二の次です。

感染対策が最優先され、しかもそれが断行されるのです。

私たちにとって本当に必要なものとそうでないものとが明確になり、

本当に必要なものだけが残る厳しい禊となるでしょう。

自ずと地域社会中心の生活になるのでしょうが、

足下の大地は実は豊潤で、

意外にも幸福度が上がるのではないかと予想しています。

生涯、生まれた県から出たことがないという人も出てくるのかもしれません。

さて、多くの産業で大変革が起こるでしょうから

私たちの存在自体が根本から否定されてしまうという事態も起こるでしょう。

経験したこともない挫折を味わうかもしれません。

覚悟が必要でしょう。

戦後の日本はノイズを徹底的に削除し、

単一化に邁進してきたと言っても過言ではありません。

お蔭で工業国として経済的繁栄を得ている訳ですが、

今回のコロナ禍はそんな日本社会を根底からひっくり返してしまいそうです。

全国民が単一の価値観で走ってきたが故に

今回のような大規模な危機には大変脆いのです。

徹底的に叩きのめされて失望したときに、

立ち上がるにはどうしたら良いのでしょう?

目の前に迫っている絶望の前に、

その対応策を考えておかなければなりません。

そんなことを考えていた時、『立て直す力』という書籍に出会いました。

著者は東工大教授で文化人類学者の上田紀行さんです。

リベラルアーツ研究教育院長で、

バリバリの理系の大学に人文系の新風を吹き込んだ異端児です(失礼)。

あの東工大に池上彰さん、中島岳志さん、若松英輔さん、西田亮介さん、國分功一郎さんらが教員として名を連ねています。

これだけのビッグネームを招聘してしまうのですから、

その手腕は相当なものです。

本の紹介に移りましょう。

古代ギリシアには自由市民と奴隷がいました。自由市民とはソクラテスやプラトンやアリストテレスのような人たち。人間にとって、世界にとって善きこととは何かを根本から議論し、探求する人たちであり、国家をどのような方向に導くかを決める人たちです。一方で、奴隷とは自由市民の指示で動く人たちでした。そして「リベラルアーツ」とは自由市民が持つべき素養であり、奴隷と自由市民を分かつものだったのです。リベラルアーツとはリベラル+アーツ。「人間を自由にする技」です(9)。

絶望の淵にあったとしても

リベラルアーツが「立て直す力」を与えてくれるような気がしてきました。

ここで誤解してはいけないのが、

私たち日本人が古代ギリシアの自由市民ではない点です。

その真逆の奴隷のような存在でしかない点を強調しておきます。

高等教育を受けてきた人でも、

否、日本の高等教育を受けてきた人こそ、ある意味、奴隷状態にあるのです。

こんなエピソードが紹介されています(22-24)。

10年ぐらい前から学生にレポートの課題を出すと

「先生、レポートの評価軸はどこでしょうか?」という質問が出るようになったそうです。

出題者の意図と評価軸を聞いて、

流石は理系のエリート校だけあって

正確無比な的確なレポートを書いてくるそうです(内容はほぼ同じ)。

課題に対し、しっかりと結果を出す人は確かに優秀です。

しかし、それは優秀な奴隷でしかありません。

日本の教育は優秀な奴隷を育成してきたのです。

答が準備されている問題には有用かもしれませんが、

今回のコロナ禍のような前例もなければ、答も見えない現実の前には

なす術が無くなってしまうのです。

自由市民と奴隷を分かつもの、

それがリベラルアーツです。

実学のサイエンスに対し、人文科学系は無力だと言う人もいます。

しかし、コロナ禍で八方塞がりの状況下においてこそ、

リベラルアーツの本領が発揮されるのだと思います。

著者は、立て直す力として宗教(特に仏教)をイチオシしています。

確かに、宗教にも期待したいところですが、

私は、リベラルアーツを重視したいと思います。

リベラルアーツは「外的足場」でもあります。

今こそ、奴隷から自由市民へ脱却したいと思います。

それにしても、本書は著者の優しさに溢れています。

「生きる悲しみ」を知っている人なのだと感じました。

ユーモアにも溢れています。

悪魔祓いの話は、彼自身のフィールドワークなだけに

リアリティーがあって、実に面白いです。

ついでに日本で悪魔祓い的なことをやるとしたらの一例として挙げた

ブラック上司への豆撒きのアイディアは笑えます(159-161)。

こういうユーモアや緩さも「立て直す力」になるのだと理解しました。

サンフランシスコ講和会議で日本を擁護したジャヤワルダナ スリランカ代表と

鈴木大拙 禅師とのエピソードには深い感動を憶えました(37-41)。

これから受け入れ難い過酷な現実が

私たちを待ち受けています。

不条理なことが続くかもしれません。

しかし、どんな状況下でも道があるはずです。

本書は「逃げ場」が必ずあると教えています。

現実を真正面から捉えずに

斜めに構えて受け流すという術も持っておくべきだと思います。

視野狭窄を回避し、いざという時に「逃げ場」を見い出せる解釈力、転換力が、

リベラルアーツの本懐なのかもしれません。

(2020年4月28日)