チーム医療フォーラムの新たな試みとして
「いのちのタウンミーティング」を思案中です。
そんな折、そのタイトルと副題の「熟議空間と民主主義」に惹かれて
本書を手にしました。
熟議空間とは、まさにハーバーマス的な公共圏という概念
―意思決定のために世論が濾過されて公衆意志が形成される場所―
を指すのでしょう。
民主主義を真に活性化させ、発展的にする熟議空間を
私たちは獲得できるのでしょうか?
著者のジェームズ・S・フィシュキン博士は、
従来の世論調査を超えた
熟議にもとづく「討論型世論調査(DP=Deliberative Polling)」の考案者であり、
世界各国で実証実験を行ってきた熟議民主主義の実践者です。
イェール大学で政治学博士号、ケンブリッジ大学で哲学博士号を取得し、
スタンフォード大学教授、スタンフォード大学Center for Deliberative Democracy所長となっています。
2012年に来日され、朝日新聞にも記事が載りました。
さて、本書ですが、前半は理論編で関心のない方にはやや難解かもしれません。
ただ、図表が秀逸で、理解を助けてくれます。
私にとっては、後半の実践編が興味深かったです。
彼が世界各国での実証実験で培ってきた知恵がふんだんに語られています。
世論調査には2種類あるといいます。
1つは従来型の世論調査や通常の住民投票に示されるもので、
民衆の意見をそのまま反映させたものです。
もう1つは彼の提唱する討論型世論調査(以下、DP=Deliberative Polling)で、
「参加者が誠実に賛否両論を検討し、公共の問題の解決について熟慮の上で判断を下す」という熟議のプロセスによって濾過され、洗練されたものです。
前者と後者は、「生の世論」と「洗練された世論」、
「大衆民主主義」と「熟議民主主義」との対比としても語られています。
市民参画の形態はこのようにまとめられます。
縦軸の「生の世論」と「洗練された世論」は、先述した通りです。
「生の世論」のままでは、民意を政治に反映させ、
より良き社会を実現することにはつながらないのです。
次に民主主義の三つの課題を見てみましょう。
「政治的平等」「政治参加」「熟議」です。
民主主義の設計において問われるのは、
いかに人々の見解が形成されるか(熟議)、
いかに見解が集められるか(政治参加)、
いかに見解が集計されるか(政治的平等)なのです。
これら三つすべてを実現することは理想ですが、
トリレンマというように、どれか一つは欠けてしまうようです。
平等と参加と熟議の間のトリレンマの解説表です。
大衆民主主義でも、動員による熟議においても、小社会における熟議においても
この三つのすべてを同時に満たすことは
不可能であると指摘されます。
さらに、先の三つの原理の他にもう一つ大切な理念があるといいます。
「多数者の専制」と呼ばれる現象を避けるためのもので、
「非専制」といわれます。
以上、政治的平等、政治参加、熟議、非専制を
民主主義における四大原理というそうです。
それらをもとに導き出されるのが、四つの民主主義理論になります。
そして、本書の要点ともいうべき下図に行き着くのです。
I:熟議による大衆意見
II:選出グループによる熟議的意見
III:選出グループの生の意見
IV:生の世論
もちろん、理想は第一象限です。
しかし、それが簡単ではない故に
第二象限である選出グループによる熟議的意見の可能性に注目する必要性が生まれます。
DPの根拠になっています。
これが本書の到達点だと思います(長らくお付き合いいただき有難うございます)。
果たして、ハーバーマスのいうところの公共圏(世論が形成され、集団の意志が形成される公共空間)は本当に存在し得るのでしょうか?
J・S・ミルが提唱するところの「公共精神の学校」として、
DPは機能するのかもしれません。
※公共精神の学校:人々は地方自治や裁判の陪審制度への参加を通じて、他人や社会への関心を抱くようになり、人間的に成長するとされる。それをミルは公共精神の学校と呼んだ。)
かなり骨太の良書だと思いました。
民意を見出すことの難しさを思わずにはいられません。
先述したトリレンマの事例を挙げるまでもなく
完全無欠の現実理論は無いのでしょう。
「ひとつの理想ではなく複数の理想」という観点に立たなければなりません。
その時、答えの無い問いを問い続けるDPの愚直な手法が
画期を遂げるのだと思います。
collective intelligence(集合知)などの概念も提唱されています。
「いのちを大切にする社会」への模索も
DPの手法が画期をもたらすのだと直感しました。
2018年2月14日