90.「西部邁を想う」

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社会医療人の星

2018年1月21日、西部邁さんが逝去されました。

私自身のことですが、

この1~2週間の体調不良の原因が分からずにいました。

西部さんの死が原因であるはずがないのですが、

でも全く的外れでもないような気がしています。

彼の著作に『思想の英雄』がありますが、

私にとって西部さんは正に思想の英雄でした。

2週間が経過し、ようやく重い筆を取る気になれました。

ヒート・デス

熱死あるいは熱的死をご存知でしょうか?

熱力学第二法則によれば、この宇宙の大原則として、

エントロピーという乱雑さ(無秩序)は増大し、

やがて、すべてのものが平衡状態に達するといいます。

それがヒート・デスです。

究極のところ、この宇宙は、世界は

刻一刻と無秩序に向かっているというのです。

ヒート・デスの概念は私をニヒリズムの罠に落とし込みました。

十代の私は、理想社会実現の志を持つと同時に

この宇宙の大原則の壮大なニヒリズムをも抱えていたのです。

ただ、子供時代の遊びやスポーツを通した身体性から

底なしのニヒリズムに沈殿していくことはありませんでした。

かといって、簡単に決別できるものでもありませんでした。

20代のある時、西部邁という人を知りました。

東大教養学部の学生時代には学生運動のリーダーを務め、

その後、左翼思想と決別し、真正保守の思想家となった知識人です。

私は西部さんの真正保守の思想に、ニヒリズムを超克する方法を学び取りました。

西部さんにとっては、イギリスの思想家 チェスタトンの『正統とは何か』が

きっかけとなったように、

私には、西部さんの『ニヒリズムを超えて』がそれを演じてくれました。

生意気ですが、書名を見ただけで同じ問題意識を持っていると直感し、

瞬時にその超克法を理解出来た様な気がします。

西部邁西部邁

では、真正の「保守主義」とは何か?

佐伯啓思 京大名誉教授の解説が秀逸なので引用します。

「絶対なるもの」への志向を背景にしつつ、その「絶対」の前で自らがどうしようもなく不完全で危ういものであると知ったものは、その「絶対」を感知する知恵を歴史や伝統の中に求める以外にないのであり、このような精神の構えこそが保守主義である。

「構え」という表現が絶妙です。

そして、この構えを意識しようものなら、

ニヒリズムになどに陥っていられないと思うようになりました。

考えてみれば、生物はエントロピー増大の法則に抗って生きています。

生物とは、物理学者のエルビン・シュレディンガーのいうところのネゲントロピーな存在です。

*『生命とは何か』で、生命はエントロピーの法則に逆らう未知のエネルギーによって動いているとし、これをネゲントロピーと名づけた。

既に、やすやすと、生物はニヒリズムを超えていたのです。

そんなことを考えていると、生物の系統発生自体が、

後述する真正の保守主義につながってくるような気がします。

西部さんに話を戻しましょう。

東大教授をあっさりと辞職し、

その後、雑誌「発言者」「表現者」を発刊して

その主張、思想を世に問い続けた姿は

単なる知識人には留まらない人物であったことが伺えます。

行動する言論人でした。

知識人の中でも桁外れに人気のあった人だったと思います。

論陣を張る時の鋭い眼光も良いのですが、

それ以上に茶目っ気のある笑顔が魅力的でした。

西部邁

ある著作の中で、三島由紀夫が自分にとって生理的な刺になっていると表現していました。

その文章表現を読んで以来、私にも三島の死は刺になりました。

理解できず、飲み込めない、異物そのものでした。

刺のようにどうしても意識せざるを得ない何かを三島は私に遺しました。

一方、同じ自裁の西部さんは、全く違うものを遺しました。

それは、超高齢社会の人間の生き方、死に方です。

奥様に先立たれた後、テレビ画面で拝見する姿には徐々に老人らしさが目立つようになり、

帽子、手袋着用も常になっていきました。

西部さんは、その日が来るまでに多くの人に自死をほのめかしています。

病を負い、日々衰えていく体を自覚されながら

介護を家族に強いていくことにも相当の配慮をされたのではないかと思います。

自死というと我々はニヒリズムと直結して考えてしまいますが、

西部さんの場合は全く逆でしょう。

ニヒリズムの気配は全く感じられません。

隔月刊誌「表現者」を後継者に譲り、周到な準備をされてきたことが分かります。

TOKYO MXの西部邁ゼミナールでも、死後放映分は最後のお別れ挨拶の様を呈しています。

事前に多くの人を前に自死を語っていたのは

自身が死を覚悟するためでは決して無かったはずです。

むしろ残された人の喪失感を軽減させ得るために

心の準備を促していたのだと思います。

私の知っている西部さんはそういう人です。

お会いしたことはありませんが、間違いありません。

西郷隆盛が、西南戦争・城山の戦いで、官軍に四方を包囲され死を決意した際に

「もうここらでよか」と言ったそうです。

西部さんも同じ境涯であったような気がします。

活力・公正・節度・良識

極めて適宜な状況の中での平衡感覚

西部邁ゼミナールの最後のメッセージとして上記が紹介されました。

「お悔やみ申し上げます」との言葉を発する者たちに

「ざまぁみやがれ」と舌を出してほほ笑んで居るに違いありません。

さらに、三島の刺をはるかに超えて、

超高齢社会の生き方、死に方の刃を

私たちの喉元に突き付けているような気がしてなりません。

より良き人生の指標、哲学を探求し続けた魂が

安らかでありますように…。