123. 賢人 田坂広志 その参 -書評『生命論パラダイムの時代』

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社会医療人の星

『生命論パラダイム』は

1992年9月に日本総合研究所が開催したシンポジウムの内容をまとめた書籍です。

日本総合研究所編となっていますが、

事実上の田坂広志氏の処女作に当たるようです。

著者は処女作に帰っていくと言いますが、

田坂氏は新しい知のパラダイム(paradigm)を

世に知らしめる預言者だと私は常々、感じてきました。

四半世紀以上前にこのような革新的で深淵な議論が東京で行われていたことに

驚きを隠せません。

相当に高いレベルの議論が行われていたからです。

それから26年経った今、仮にその後の進歩がなかったとしたならば

その間、私たちは時代を一歩も進めることが出来なかったことになります。

機会損失の極みです。

話題を変えます。

昨今、個人、組織、社会、世界どの階層においても閉塞感が漂っているように感じます。

世は無常であるのは自明であり、

変化の前の一時の停滞に過ぎないと高を括っている吾人も多いかもしれません。

しかし、この度の閉塞感は只事ならぬと私は感じてしまうのです。

一方で、さしたる危機感も持たぬままに

パラダイムの転換を口にする人がいらっしゃいます。

この場合、パラダイムという用語の明らかな誤用であると思ってしまいます。

トーマス・クーンがいうところの本来のパラダイムの意味は、

単なる思考の枠などではありません。

「一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与えるもの」という定義が

やや分かりにくいために、後の人々の誤解と誤用をもたらしたのでしょう。

その主著『科学革命の構造』の中で彼は、科学革命と表現し、

科学史における非連続な飛躍の原因、構造をパラダイムという概念で説明したのです。

すなわち、パラダイムとは革命的な価値体系なのです。

科学革命の構造

「今こそ、パラダイム転換の時である。」

時々、目にするフレーズです。

全く同感です。

ただ、このパラダイムは、多くの人が誤用している軽々しいそれとは別物です。

現パラダイムの中にいる私たちには、

簡単に新しいパラダイムには移行できないと考えておかなければなりません。

現パラダイムに晒されている(今や毒されている?)私たちは、

タブラ・ラサ(tabula rasa)の状態で次のパラダイムを語ることは出来ないのです。

パラダイムとは、私たちの身体が外界と接するときの皮膚のようなものではないでしょうか。

「肌感覚」というように、私たちの皮膚に、身体に、思考に

しっかりとこびり付いたものなのだと思います。

繰り返しますが、デカルト・ニュートンの要素還元主義の呪縛は簡単には解けないのです。

皮膚のようなものですから、服を着替えるときのように

容易にパラダイムを転換することなど出来ないのです。

さて、人生100年時代を迎えんとする今、

私たちのライフ・スタイルを革命的に転換するパラダイムは、

私の知る限り「生命論パラダイム」しかありません。

(誤用レベルでのパラダイムは数多とあることは先述しました。)

その「生命論パラダイム」を四半世紀以上前から提唱しているのが田坂広志氏です。

「生命論パラダイム」を語るときに避けて通れないのが

Ilya Prigogineの散逸構造論(the theory of dissipative structure)です。

*こちらでも、少しだけ言及しました。

118. 私たちの身体は食べたもので出来ている
生物学者 福岡伸一 青山学院大学教授の著作から ルドルフ・シェーンハイマー(1898-1941)の「動的状態」の業績を知った人は多いと...

プリゴジン

プリゴジン

(↑ 秋山 読書ノートから)

このプリゴジン的宇宙観、世界観から

「生命論パラダイム」を説き起こした田坂氏の慧眼に敬服、否、感謝します。

これからの私たちが拠り所とする真のパラダイムを導き出してくださいました。

(奇跡的という意味で)有り難い!というしかありません。

氏にとってもこのテーマで講演を依頼されることも少なかったのではないかと思います。

あまりにも深淵なテーマだからです。

MED Japanならではの、

あるいはMED Japanでしか扱えないテーマだと思っています。

新しき人々よ、お集まりください。

そして、新しき「生命論パラダイム」の時代を創造していきましょう!

2018年9月26日