217. 『永遠の0』映画論考

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社会医療人の星

テレビ東京開局50周年特別企画で製作されたドラマ『永遠の0』を

Amazonプライムで偶然、見つけました。

『永遠の0(ゼロ)』

計3話、6時間半の大作(←さすがテレ東)でしたが、

一気に観てしまいました。

向井理さん主演の本作は、岡田准一主演映画(2013年)にも

決して負けていないと思いました。

妻、松乃役の多部未華子さんの一途な演技も見事でした。

映画の144分に比べ、ドラマは3倍弱の長さでしたから

より細やかに心情表現がなされていました。

片方しか観ていない方は、ぜひ両方を制覇しましょう!

(えっ、どっちも観ていないって? 今からでも遅くはありません。ぜひ!)

個人的には、景浦介山の設定とキャストの関係で

映画に軍配を上げたいと思います。

という訳で、ここからは映画についてです。

この映画は戦争映画に有りがちな大義や反戦という視点で観るべきではありません。

2013年末の封切直後から特攻隊や戦争を美化した映画だとか、

「骨太な愛国エンタメ」などとも揶揄されました。

全く的外れです。

主人公の宮部久蔵が妻子のために「生きて帰る」ことにこだわったことから

家族愛がテーマだという声も聞かれました。

私は、その視点も不十分だと思っています。

戦争映画ではなく、日本精神を唄った映画として観るべきだと思うのです。

原作者の百田尚樹氏や山崎貴 監督が何と言おうと、

根底に流れているのは、今日の日本人が忘れかけている“陰徳”です。

陰徳とは、「匿名のギフト」とでも言いましょうか、

「見返りを全く求めない贈与(純粋贈与)」です。

この映画は陰徳を軸に観るべきです。

主人公 宮部久蔵は、優秀な零戦ファイターであり、同時に陰徳の人です。

物語は、宮部の孫が祖父の死に疑問を持ったところから進展していきます。

当初、取材で出会った祖父を知る人たちは、命を惜しむ卑怯者だったと非難します。

しかし、取材を進めていくうちに、別の側面も見えてきます。

非常に優秀、勇敢なパイロットであっただけでなく、

己の信念を貫く孤高の強さを持った人物だったのです。

妻子のために「生きて帰る」ことを誓った宮部でしたが、

最後には特攻隊に志願して洋上に散ってしまいます。

その謎を孫たちが尋ね求めていくというストーリーです。

特攻隊出撃の日、熟練パイロットの宮部は、搭乗機のエンジンの異常音に気づきます。

そのまま出撃すればエンジン故障のため

基地に帰還せざるを得ないことが予期されました。

万が一にもないような幸運の切符を最後の最後に宮部は手にしたのです。

がしかし、宮部はその零戦を大石賢一郎という青年に譲り、

宮部は戦死し、大石青年は予想通り帰還するのです。

宮部から大石に託されたのは、命掛けの陰徳でした。

大石は宮部の意図をしっかりと理解し、

その陰徳を宮部の妻、松乃と娘の清子に繋げました。

そして、宮部に代わって孫たちの成長までも見守り続けたのです。

宮部の陰徳を受けた人は大石青年だけではありません。

宮部に関わりを持つ多くの人が大なり小なりの陰徳を受け取っていたのです。

その一人が景浦介山です。

彼は、こともあろうに宮部を戦闘に紛れて殺そうとします。

しかし、宮部はその攻撃を冷静に躱し、

逆に景浦の後方に回り景浦を機銃の射程内にとらえ、景浦を震え上がらせたのでした。

基地に戻った景浦は厳罰を覚悟しましたが、

宮部は景浦を咎めることはありませんでした。陰徳です。

景浦には、宮部の陰徳がしっかりと伝わりました。

それを証拠に、復員した景浦は、宮部の妻、松乃を探し出します。

彼女がやくざの囲われの身になっているのを知って、

命懸けで救出しただけではなく、大金を渡して

自身は長い刑期を務めるのです。

その後、裏社会の大物となった景浦を田中泯が演じます。

景浦はまさに筋金入りの男。

宮部の孫たちが景浦を取材した際、

「俺の知っているのはここまでだ」と話を切り上げ、

自分が彼らの祖母を助けたことや祖母のつらい過去を敢えて語らなかったのは、

景浦の宮部の孫たちへの陰徳です。

宮部と大石が出撃前日に川に足をつけながら、日本の将来について語り合います。

「そのとき、日本はどんな国になっているんでしょう」と。

陰徳の人たちが自身の命と引き換えに後の世に大いなる希望を託していたことを思い知り、

私は言葉を失いました。恥じ入るばかりです。

陰徳を実践する人の目は、静謐そのものです。

最近は、そういう目を見ることが少なくなりました。

陰徳の思想こそ、日本精神の真髄ではないかと思います。

陰徳は生命的な連続性を獲得していきます。

思えば、日本社会はこうした陰徳の連鎖によって成り立ち

陰徳の人たちによって下支えられてきたのでしょう。

そして、それは日本のみならず人類歴史に通底するものだと気づかされます。

前半に、「陰徳は匿名のギフト」「見返りを全く求めない贈与(純粋贈与)」と書きました。

今日の世界をお金の流れだけで説明できると考えている人が少なからずいますが、

世の中はそんな薄っぺらいものではありません。

マネタリー経済とは別に

陰徳の、ギフト経済が歴然と存在することを私は知っています。

ポストコロナ社会が「誰一人取り残さない」世界だとすると、

ギフト経済が主流になる社会であるべきだと考えます。

陰徳の精神こそが、新しい社会を切り拓いていくのだと信じています。

(2020年7月8日)