村上医師の“ことば”はストレートだ。
ジャブやフック、ブローがない。
いきなりストレートで打ち込んでくる。
その言葉は街の中にある。
街を歩き、体で感じ、紡ぎだされる。
生活の場で繰り広げられる“ことば”だ。
今、その“ことば”を受け止めろ。
正面から受け止め、打ちにいけ。
そのパンチが医療を変えていく。
第3回「声を出せ!」
医療の目的とは何ですか?
病気を探し出し治療をすることですか。
大切な役割ですが、それが目的でしょうか。
では、治る見込みがない病気を抱えた高齢者にも、
ひたすら治療を続けるのでしょうか。
ひと昔前の医療は“治る”病気が大半でした。
胃がんを探し出し、手術を行い、自宅に帰す。
治療が医療の目的となっていました。
しかし、高齢化が進み、医療の技術も進歩すると、
治らない病気が増えてきました。
治すことが目的の医療ならば、
“治らない”病気でも“、治す”治療を続けなければなりません。
しかし、治らないのですから、その人はいつまでも“病人”です。
病人を無くすはずの医療が病人を生み出しています。
医療は手段であり、目的ではありません。
その人が「こうありたい」と願う生き方をささえるものです。
どう生き、どう死んでいくかはその人が決めることです。
医療はそれを手助けする手段のひとつにすぎません。
治療が目的となる、手段が目的化することはあってはならないことです。
医療人がよかれと思ってやっていることが、
その人の「こうありたい」という願いに結び付かない。
一生懸命にやっていることが不幸を生み出す。
悪意のない思いが一人歩きしています。
「あなたはどう生き、どう死んでいくのか」
それを患者自身が考える機会を医療は奪ってきた。
その機会を提供しようとしてこなかったのです。
今こそ、医療者は自分たちが目撃している事実を話さなければなりません。
「病院で迎える死とはこういうものなのだ」
「どんな死を望むかはあなた次第なのだ」
「だから死を考えることは大切なのだ」
そして「医療はここまでしかできない」と話す。
…考えることが始まります。
※次号に続きます。
※本原稿は2013年12月15日発行の「ツ・ナ・ガ・ル15号」からの掲載です。
村上智彦 Tomohiko Murakami
「何を言われても死ぬことはない」とあるお坊さんから言われ、「吹っ切れた」という村上医師。忙しい合間を縫って羽田空港のラウンジで取材に応じてくれました。“軍事オタク”を標榜するだけあって、駐機中の飛行機に目を輝かせています。次の世代に責任を持たなければならない、そのために行動している…、いつしか“オタク”から公の顔に変わっていました。
1961年北海道生まれ。医師。北海道薬科大学、金沢医科大学医学部卒業。自治医科大学地域医療学教室で地域包括ケアを学ぶ。NPO法人ささえる医療研究所理事長。2009年若月賞受賞。2017年5月11日 逝去。