村上医師の“ことば”はストレートだ。
ジャブやフック、ブローがない。
いきなりストレートで打ち込んでくる。
その言葉は街の中にある。
街を歩き、体で感じ、紡ぎだされる。
生活の場で繰り広げられる“ことば”だ。
今、その“ことば”を受け止めろ。
正面から受け止め、打ちにいけ。
そのパンチが医療を変えていく。
第2回「変わる勇気を持て!」
社会は変わっています。
しかし、私たちは変わっていますか?
社会の変化に気付きながらも、変われていない。
私たちは変わろうとしていないのです。
国民皆保険が制度化されたのは1961年です。
日本の医療は50年間、社会のありように即してシステムを作り、
国民の医療への要請に応えて来ました。
私はこれを評価しこそすれ否定するつもりはありません。
世界一の長寿国を20年以上も築いてきたのです。
しかし、これからも世界一の長寿国を目指しますか?
ずっと上を見続けますか?
日本が戦後の復興から成長へと転じた高度成長時代、
国民の要望は世界一の長寿を実現することでした。
今、国民の満足はそこにありますか。
高度成長時代の成功体験から離れられない。
私たちは“高度成長病”に罹っています。
社会のありようが変化し高齢化が進む。
高齢者の病気が増え、医療費が増大する。
労働人口が減少し、税収が低減する。
それなのに、同じ箱で、同じやり方をしている。
上手くいかなくなるのは当たり前です。
いい加減に成功体験を手放しませんか。
これからは上をみる医療ではありません。
国民が健やかに生き、幸せに死んでいける。
医療はそれをささえるものでなければなりません。
頭を切り替え、私たちが変わっていく。
病院でのキュアから日常のケアや予防にシフトしていく。
日本には豊かな医療資源があります。
発想を変えるだけで、いい医療は絶対にできます。
あるシンポジウムで80歳ぐらいの方が、
「今の政治が悪い」と発言しました。
私は「だまれ!」とさえぎりました。
今ある制度を作ってきたのはあなたたちではないか。
自分たちが作ってきたものに文句をつけるのか。
高度成長時代にはそれは正しかった。
しかし、今は違う、変えなければならないのだ。
だから、もう既得権益にしがみつかず、邪魔をしないでくれ。
私はそんな気持ちでいっぱいでした。
私たちは変わらなければなりません。
※次号に続きます。
※本原稿は2013年12月15日発行の「ツ・ナ・ガ・ル15号」からの掲載です。
村上智彦 Tomohiko Murakami
「何を言われても死ぬことはない」とあるお坊さんから言われ、「吹っ切れた」という村上医師。忙しい合間を縫って羽田空港のラウンジで取材に応じてくれました。“軍事オタク”を標榜するだけあって、駐機中の飛行機に目を輝かせています。次の世代に責任を持たなければならない、そのために行動している…、いつしか“オタク”から公の顔に変わっていました。
1961年北海道生まれ。医師。北海道薬科大学、金沢医科大学医学部卒業。自治医科大学地域医療学教室で地域包括ケアを学ぶ。NPO法人ささえる医療研究所理事長。2009年若月賞受賞。2017年5月11日 逝去。