15.「空飛ぶ衛生隊、誕生!」

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岡田晋吾 ままならぬ医者人生

前回、自衛隊駐屯地の医官の生活について書きました。

今回も、もう少しだけ書いておきます。

基地の中には売店も散髪屋もあって仕事の合間に予約して散髪もやってもらっていました。

食事も基地の食堂で隊員の皆さんと一緒に楽しく食べられますので、

みんなに大事にされる医官生活は快適なものでした。

私のいた新町駐屯地は群馬にあります。

群馬と言えば私が赴任する5年ほどまえに日航ジャンボ機墜落事故が御巣鷹山であり、

その時に出動した隊員さんたちもおられました。

ちょうど我々の属していたころの衛生隊長は、

レンジャーの資格を持っているやる気満々の方でした。

あの事故の時に山頂に降りられる医官がいなかったことが残念だったと思われていて、

しきりにヘリコプターから降りる医官を作ろうとみんなに声をかけていました。

1年先輩の医官たち3人は無視されていましたが、

我々の期の3人はなんでも興味がわく方だったので

日本で初めての医官になるならと引き受けました。

まずはロープにカラビナと言う器具をつけて高いところから降りる訓練をします。

隊舎の5階部分から降りる練習を始めましたが、

この時点で高所恐怖症ということに気付いたW君は脱落しました。

それを何回か繰り返して大丈夫だと偵察隊の隊長さんからお墨付きをもらうと、

いよいよ本物のヘリコプターに乗って降りる練習です。

戦争映画によく出ているように、横のドアをすべて取り払った状態のヘリコプターに、

外に足を放り出した状態で外を見ながら上昇するのは初めはとても怖いです。

上空までいったらヘリコプターがホバリングして空中で止まっている状態で、

各自ロープを下に投げおろして外に背を向けてロープをつかんで空中に飛び出します。

そして持っているロープを握りながら

スピードをコントロールしながら地上まで降りるのです。

最初の一回はやはり怖いのですが、一回成功するとこんな面白いことはありません。

またヘリコプターがわざわざ我々のために降りてきて、

また乗せて上空にあげてくれてまた飛びだす。

富士急ハイランドとかでも経験できないことを無料で(給料もらって?)やらせていただけるんですから…。

これで自衛隊史上初めてのヘリコプターから降りることのできる医官の誕生です。

衛生隊長は大喜びでした。

“空飛ぶ衛生隊”というキャッチコピーを使って、

自衛隊の広報誌とかの取材をたくさん受けられていました。

もちろん私たちもうれしかったのですが、

数年後、後輩たちから岡田さん達があの時やっちゃったから

後輩の僕たちもやらされて大変ですと文句を言われました。

その後、医官が山頂に降りて役立ったと言う話は聞きませんが、

災害派遣の時などにヘリコプターから降りられる医官がいると言うことは大切ですよね。

その後私は年齢とともに高所恐怖症になったので、

今は観覧車にも怖くて乗れなくなっていますけど(笑)。

さて自衛隊の駐屯地での2年間の研修も終わります。

駐屯地での診療以外に、公立昭和病院では外科医として手術や救急診療のお手伝いをたくさんやらせていただいていました。

東大の先生方のなかでたった一人の防衛医大出身の医者でしたが、

とてもやさしく好きなようにやらせていただいていました。

週に3回くらいしか来られない医師に術者をまかせてくれる病院は少なかったんですが、

ここの病院では卒業後3、4年の私に積極的に術者として胃切除や大腸切除など、

まだ同期の先生方がやったことのない経験をたくさんやらせていただき楽しい病院生活でした。

ずっとこのままでいたかったのですが、自衛隊員ですから命令で異動します。

5年目は大学に帰って外科医としての専門研修を受けることになっていました。

昭和病院の先生方、スタッフの方々と泣く泣く別れて大学に戻りました。

※掲載内容は連載当時(2016年2月)の内容です。