石炭をば早や積み果てつ。
中等室の卓のほとりはいと靜にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。
難解なように見える書き出しですが、
日本人なので枕草子や源氏物語で馴染んだ文語調のリズムが、
不思議に心地よく適当に読めてしまいます。
さすが文豪の筆力畏るべしです。
国語の試験で、この書き出しで始まる小説は?
という問題に頻出の有名な「舞姫」の冒頭。
文章はなかなか格調高いのですが、
かなり身勝手な男の回想録です。
国費でドイツに留学したエリート官吏の太田豊太郎は、
貧しいダンサーの美少女エリスと親しくなり、
やがて同棲してエリスを妊娠させる。
彼の将来を心配した親友が復職と帰国の世話をしてくれたが、
太田はエリスに帰国することを言えないでいる。
代わりに親友がエリスに告げたところ、
エリスはショックで精神疾患になってしまうが、
彼女を置いて太田は予定通り帰国する。
時代が時代とはいえ酷い話でしょう?。
またこれが鴎外自身の体験談をもとにしているようで、
鴎外が帰国後にドイツから少女が鴎外を追いかけて日本に来ています。
鴎外も陸軍軍医教官という立場上、
彼女と再会することなく周囲の人が説得して彼女を帰国させたそうです。
鴎外は御典医の嫡男で東大医学部卒、
最後は陸軍軍医の最高幹部まで務めたエリート中のエリートですが、
若かりし頃にこんな失態もあったことで人間味があると、
好意的にみる向きもあるようです。
しかし、この経験を題材にして小説を書いたりするのは、
個人的にはちょっと好きになれませんが、
過去の過ち? をモデルにした小説を、
世間に堂々と披露するところは大人物なのでしょう。
もう一つ、いちおう私は栄養も専門にしておりますので、
鴎外が陸軍の軍医幹部であった時に、
ビタミンB1欠乏症による脚気で軍人に多くの死者を出したことに関係していたことも、
好きになれない理由かもしれません。
陸軍の鴎外に対して、海軍軍医の幹部は高木兼寛(慈恵医大の創設者)で、
こちらは臨床第一主義で、栄養学、疫学、看護学を英国で学んでいます。
海軍カレーの発案者でもあり、脚気は栄養障害であると考えていたので、
白米メインの炭水化物が大部分の陸軍の食事に対して、
海軍はパンや麦飯を主食に、牛肉や牛乳などの高蛋白食を提供し、
脚気による死者を出しませんでした。
精米された白米は銀シャリと言われ贅沢で美味しいのですが、
米ぬかに含まれるビタミンB1が除かれてしまっています。
麦飯は粗食だと思われていますがビタミンが豊富です。
現代は白米が主食ですが、副食でビタミンを豊富に摂取しているので、
脚気は診る事がなくなりました。
しかし拒食症やアルコール依存症、ジャンクフードしか食べない人などに、
ビタミンB1欠乏性乳酸アシドーシスが発症することがあります。
鴎外は栄養の専門家ではないので責めるのは気の毒だと擁護する意見もありますが、
専門外なら専門家に任せるという姿勢が大事だと思います。
高木兼寛は「病気を診ずして病人を診よ」と、
理論よりも患者を診ることの大切さを説いたことで有名ですが、
「医師とナースは車の両輪の如し」とも述べ、
日本で最初の看護学校も創りました。
海軍カレーも創りました。
今の日本医師会長や東京都教育委員長にあたる職にも就き、
人望があったものと思われます。
薩摩の下級士族の出身ですが、
功績で男爵を授けられ、
麦飯で脚気を無くしたことからも親愛の情をこめて「麦飯男爵」と呼ばれたそうです。
あまり好きでないと書いてしまった鴎外ですが、
多忙な国の要職を務めながら、
優れた文学作品を残した博学多才で立派な尊敬する先生です。
与謝野晶子や平塚らいてうという、
当時では前衛的な女性たちを評価して交際するという
先進的な男女共同参画の考え方も持っていました。
ところで鴎外先生、
さすがにハイカラで5人の子供に欧米人の名前を漢字でつけています。
当時の学校では今のキラキラネーム扱いだったかもしれません。
於菟、茉莉、杏奴、不律、類
たぶん、Otto, Marie, Anne, Fritz, Louis
※掲載内容は連載当時(2014年6月)の内容です。