108. プレゼントと人類社会との意味深な関係 -モース『贈与論』からの創発

社会医療人の星

以前から、脳容積でも体力でも勝っていたネアンデルタール人が4万年前に滅んで、

劣者のわれわれホモ・サピエンスが生き残っているのが不思議でなりませんでした。

真実を知る事は出来ないかもしれませんが

それを問い続けることは、

私たち人類の本来目指すべき(滅びに至らない)道に繋がるのだと信じます。

いくつかの要因があったのだと思うのですが、

アダム・スミスが『国富論』で指摘した「ものを交換しあう」という

ヒトの特質に依拠するような気がしています。

「ものを交換しあう」この性質は人類に共通しており、他の種の動物にはみられない。動物は交換にかぎらず、どんな種類の約束や合意も知らないようだ。二匹の猟犬が一匹の兎を追いかけているとき、二匹が協力しあっているように見えることがある。・・・しかしこれは約束や合意の結果ではない ・・・一匹の犬がじっくりと考えたうえ、骨を公平に交換しあうのを見た人はいない。また、動物が仕草や鳴き声を使って、これは自分のもので、それはお前のものだ、これとそれを交換しようと仲間にもちかけるのを見た人もいない。
アダム・スミス『国富論』第2章「分業の起源」

我々の先祖、ホモ・サピエンスは他の人類に比べ、

「ものを交換しあう」性質を強く持っていたようです。

街に出て、物やサービスを交換したがる性質です。

多くの人につながりたいという性質でもあります。

専門用語では、「交易する性向」というようです。

この特性を出発点として、ヒトは繁栄の道に突き進んだと私は予想しています。

そんな朧げな仮説を抱きながら調べ物をしていたら

マルセル・モース(1872 – 1950)の『贈与論』にたどり着きました。

ようやく、求めていた理論に出会えました(バンザーイ)。

ポリネシア、メラネシア、そしてアメリカ北西部のアルカイックな部族たちによって

実践されてきたポトラッチと呼ばれる贈与と返礼の習俗に着目し、

それが人間関係、そして社会そのものを形成する重要な役割を持つのだと指摘しています。

それは全体的社会的現象であり、

隠れた形でわれわれの社会を支える人類の岩盤の一つであると表現しています。

物を与え、返すのは、互いに敬意を与え合うことになります。

人は自分自身や自分の財を他者に負っており、

何かを与えるのは自分自身を与えることにつながるのです。

贈与は双方的なつながりを作って他者を受け入れることにつながり、

集団間の戦いを防ぎます。

また、集団間の贈与で獲得した財は構成員に再配分されるため、

贈り物は与えなくてはならず、受け取らなくてはならず、

しかも受け取ると危険なものになり得ると指摘します(←何と、鋭い!)。

モースは贈与を構成する3つの義務として、

与える義務、受け取る義務、返礼の義務を挙げています。

  1. 与える義務:贈らないことは、礼儀に反することであり、自身のメンツが丸つぶれになる
  2. 受け取る義務:「ありがた迷惑」でも拒否する権利はない
  3. 返礼の義務:この義務を果たさないと、権威や社会的な地位を失う

モースの凄さは、贈与と交換による全体的給付の体系を全体的社会的現象と捉え、

それが社会制度を活性化させると断じた点にあると私は思っています。

古代社会や未開社会でおこなわれている経済的な交換や取引は、

必ずしも今日のわれわれが想定するような富の蓄積や利益の確保のためではなく、

もっと広範な交換のためだったというのです。

そうした広範な交換には「互酬的な贈与」が動いており、

双方向でなければ社会は成立しなかったというモースの発見に私はシビレてしまいました。

モースは、マリノフスキーの『西太平洋の遠洋航海者』から着想を得たそうです。

トロブリアン諸島に当時まだ残存していた儀礼的な交換行為「クラ」(kula)や

アメリカ太平洋北西部の狩猟採集民のあいだで交わされてきた相互贈与行為「ポトラッチ」(potlach)などを報告した書です。

これらの伝統的な「互酬的な贈与」体系が

古代インド、古代ローマ、古代ゲルマンなどの法と習俗とに通底することを発見したのです。

そして「贈与の経済社会」を詳らかにしていったのです。

先の「クラ」や「ポトラッチ」に関して、

マリノフスキーは物々交換を主眼とした経済的行為とみなしただけなのに対して、

モースは宗教・法・道徳・経済・人事などの「全体的社会事象」をその中に認め、

「互酬的な贈与」体系をして「隠れた形でわれわれの社会を支える人類の岩盤の一つ」と捉えたのです。

モースの広がりのある洞察には、只々感動です。

ここには今日の資本主義社会が失いつつある本来の贈与のカタチがあります。

モースの言葉を借りるなら

贈与がもたらすもの、それは存在の名誉というものなのである

互酬的贈与には名誉が伴うのです。

このとき、今日的なソーシャル・キャピタルとの関連も強固に浮上してくることでしょう。

そうそう、ロバート・パットナムの定義では

ソーシャル・キャピタルは「信頼×互酬性×ネットワーク」でした。

贈ることとお返しすることを通して、相手を慮る想像力を醸成し、

私たちの社会は何らかの価値を見出していくのでしょう。

アダム・スミスが『道徳感情論』で主張しようとした

社会的理想にも繋がるのだと思います。

さて、モースはマリノフスキーの著作からインスピレーションを受けたそうです。

私もモースの『贈与論』から創発しました。

互酬的贈与が人間社会の基盤システムであることから、

そもそも、ヒトとつながり、贈与したいと発想する原始のヒトの欲求に

ホモ・サピエンスの飛躍の鍵を感じるのです。

すなわち、20万年前に誕生したとされるホモ・サピエンスには、

互恵的贈与、交易する性向が原初からプログラミングされていたのではないかと思うのです。

嬉しそうにプレゼントを贈り、楽しそうにその返礼のプレゼントをしている

われわれの太古の先祖たちの姿が眼に浮かびます。

論理に飛躍があると言われそうですが、

互恵的贈与、交易する性向こそが、

ホモ・サピエンスにあって、

ネアンデルタール人に無かった決定的な違いではないかと直観しました。