7月10日まで東京上野の東京都美術館で開催中の
「クリムト展 ウィーンと日本 1900」に行ってきました
(7月23日からは豊田市美術館で開催されます)。
日曜昼の最も混雑すると思われる時間帯で行きましたが
15分待ちで館内に入れ、
中ではゆっくり鑑賞できました。
美術館側で入場をコントロールすることで
鑑賞の質を落とさないようにしているのだと思います。
グスタフ・クリムト(Gustav Klimt 1862-1918)の芸術家としてのスタートは
博物館付属工芸学校入学に始まります。
父親が彫版師だった影響なのでしょう。
2人の弟のエルンスト・クリムト、ゲオルク・クリムトも同じ学校で学び、
それぞれ彫刻師、彫金師となっています。
さて、本展は過去最大級のクリムト展のようで、
印象的な作品ばかりでした。
美しい未亡人ユディトが祖国を救うために
敵将ホロフェルネスの首を切り落としたという、
旧約聖書外典の「ユディト記」を主題にした作品です。
どんな困難にも屈せぬ女性の強さを誇示したのでしょうが、
それ以上に
生首を手にしながら浮かべた艶めかしい表情は、
当時の女性の美の表現としては革新的だったはずです。
油彩画に初めて本物の金箔を用いた作品でもあったらしく、
クリムト自身のデザインによる額縁も作品全体の存在感を高めています。
兎に角、圧倒されます。
紙面の関係で詳細には触れませんが、
「ベートーベン・フリーズ」も必見です。
全長34メートルを超える壁画の原寸大複製です。
複製と侮るなかれ、ベートーベンの第九が聞こえてくるようでした
(というより、実際に音楽が流れています)。
多くの作品群以上に私の心を打ったのは、
彼の活動家としての側面でした。
1897年にクリムトは仲間と共に「ウィーン分離派」を結成します。
当時のアカデミズムを代表するウィーン美術家協会から独立、脱退したメンバーで構成されました。
クリムト、35歳の時です。
ちなみに私が、チーム医療フォーラムの前身の
チーム医療人フォーラム(任意団体)を設立したのは39歳の時でした。
次元こそ違え、世に問う姿勢には共通するものを感じます。
クリムトは、自ら初代会長として分離派会館を中心に
多くの展覧会を開催しながら、新しい造形表現を追求していきました。
当時の展覧会のポスター類も展示されていますが、
毎回、斬新なデザインと企画が盛り込まれています。
同じく変革を志す者として、彼の熱を感じ取りました。
画力もさることながら、変革者としての実践力も秀逸です。
生涯結婚しなかったようですが
私生児が14人もいたそうです。
あらゆる面で破格な人物だったようです。
「時代には芸術を、芸術には自由を」
これは彼らの活動拠点である分離派会館の入り口に
金文字で掲げられたモットーです。
直球、ど真ん中の清々しさを感じます。
「ベートーベン・フリーズ」もその施設内に展示されています。
ここまでお付き合いいただいた皆さんは
既に、クリムトに興味津々のはずです。
そんな皆さんに朗報です。
クリムトとその弟子、エゴン・シーレを描いた映画:
「クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代」が公開間近です。
クリムトとシーレは、2人とも1918年に亡くなっていますが、
没後100年を記念して制作されたそうです。
私としては、活動家としてのクリムトの足跡を
丁寧に追ってみたいと思います。
2019年6月5日