196. 偉人 ネルソン・マンデラ を想う

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社会医療人の星

30年前の1990年2月11日、南アフリカ共和国で

ネルソン・マンデラが約30年の投獄生活から解放されました。

「不撓不屈」という文字を見る時、決まって私の頭に浮かぶのが彼です。

本名ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ(コサ語: Nelson Rolihlahla Mandela)は、

1918年7月18日から2013年12月5日まで、95年の長い歳月を走り続けました。

反アパルトヘイト運動の闘士であり、

アフリカ共和国・初の黒人大統領であり、

1993年のノーベル平和賞受賞者でもあります。

1995年ラグビーワールドカップの南アフリカ優勝を導いた彼の姿は

クリント・イーストウッド監督の映画

『インビクタス/負けざる者たち』(Invictus)になっています。

そんな彼はテンブ人の首長の子として生まれました。

部族社会の反英闘争の歴史や部族の首長が持つべきリーダーシップ、

寛容の精神を聞いて育ったそうです。

彼の反骨の思想は幼少時から熟成されていったのです。

大学生時代には学生ストライキを主導したとして退学処分を受けています。

闘士の片鱗がすでに表れています。

「不撓不屈」の彼が退学ぐらいで終わるはずがありません。

南アフリカ大学の夜間通信課程で学び、見事、学士号を取得しています。

教育と法律という外的足場の力を知っている彼は、

法律を学び、弁護士事務所を開いています。

もちろん、弱い立場の黒人を弁護するためです。

また、彼がアマチュアのボクサーだったことも決して偶然ではないと思います。

若き日より「文武両道」で己を鍛えていたに違いありません。来るべき日に備えて…。

そんな彼に反アパルトヘイト運動に駆り立てる決定的な事件がもたらされました。

友人ジャクソンが酔っ払って歩いているとき警官に止められ、

携帯義務のパスを忘れていたために警官に連行され、

警察署内で暴行を受けて死亡したのです。

その上、警察は、ジャクソンは病死したと暴行殺害事件を隠蔽したのです。

以来、彼は反アパルトヘイトの闘士になっていったのです。

1944年(26歳)のことでした。

それから20年後の1964年に、国家反逆罪で終身刑となり、

ロベン島に収監されます(46歳)。

以来、27年間 過酷な牢獄生活を強いられます。

しかしながら、そんな劣悪な環境下でも彼の影響力は絶大でした。

会話禁止のみならず、あらゆる制限が課せられた刑務所内においても

彼はその態度で以て多くの人を感化していきます。

横になることも出来ないような非常に狭い独房内にあっても

来るべき日のために日々の筋トレを欠かさなかったそうです。

日頃の運動不足を時間が無い、場所が無いと言い訳をしている私たちは

己を恥ずべきです。

鋼の精神は牢獄でも決して折れることはなく、

むしろ強靭さを増していったのです。

事実、彼はこんなことを言っています。

収監によって自己の内面を見つめ、熟考する能力が与えられた。

これによって南アフリカに最も必要な能力が形成され、平和、和解、融合が実現できた

彼の実に深い、寛容な心に根ざした行動により

彼は南アフリカにおいて

“Ubuntu”と呼ばれるものの象徴となったそうです。

 

Ubuntu

I am; because of you.

「あなたがいるから私がいる」と言う意味です。

これは、南アフリカのみならず、

全世界への、後世への

偉大な外的足場となりました。私はそう思います。

最後に「ネルソン・マンデラ物語」の動画を紹介しておきます。

人間存在の偉大さを感じ取れるはずです。

(2020年2月12日)