170.『自省録』書評

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毎年8月13日~15日はお盆の期間であり、

古来より祖先の霊を祀る一連の行事が日本中で行われてきました。

8月15日の終戦記念日との重なりもあり、

日本人にとっては故人への想いを馳せる大切な時間なのだと思います。

この時ばかりは、

都会に働きに出ている地方出身者も故郷に帰り、

祖先の墓の前で手を合わせるのが風習になっています。

故人との対話が可能かどうかは別として、

少なくとも、日々の生活を振り返り、

自分自身と向き合う大切な時間となるはずです。

そんな意味合いから、この日本でお盆の習慣が定着したのだと思います。

そんなことを考えていたら、

マルクス・アウレーリウスの言葉が浮かんできました。

有徳の生涯を送った古人の中の誰かを

絶えず念頭に思い浮かべていること…

マルクス・アウレーリウス(121-180)はローマの皇帝かつ哲人です。

蕃族の侵入や叛乱の平定のために東奔西走する日々でありましたが、

その僅かな時間の合間を使って

自らを省みることを怠りませんでした。

彼の著作である『自省録(Meditations)』には

彼自身のストイックな生き方が赤裸々に綴られています。

他人の目に触れることは想定せずに

自らの魂の清さだけを頼りに書き留められたものであることが分かります。

それだけに

私たちが日々の雑事に流され、

自己を見失いがちになるのを軌道修正するにはうってつけの良書です。

冒頭の言葉を胸に彼は人生を全うしたのです。

自省録(Meditations)自省録(Meditations)

人民を支配する皇帝という身でありながら、

彼は敢えてストア派の哲学を

身を以て実践していきます。

何故に、そのような厳しい道をすすんで歩もうとするのか?

本書に初めて触れた若き日には理解できませんでした。

刹那的に生きたいとは思いませんが、

かと言って、あまりに禁欲的になり過ぎるのもどうかと思います。

同時代の多くの人が彼を堅物と思ったことでしょう。

扱いに大変困ったに違いありません。

しかし、私も人生をそれなりに歩むにつれ、

徐々に彼の心境が理解できるようになってきました。

彼にとって生きることとは、その時代のみを生きることではなかったのでしょう。

皇帝の勤めを果たすことだけが全てではなかったのでしょう。

数千年の人類歴史の中にあって、

偉大なる先人たちに伍して、生き抜こうとしたのだと思います。

彼は最初から後世の範となる生き方を示そうとしていたのでしょう。

社会的地位や役割をこなすことだけにとらわれてはいなかったはずです。

皇帝であろうとなかろうと、彼は同じ生き方をしたはずです。

崇高なる魂にとって、生きた時代や社会的役割、職業などは

どうでも良いことなのかもしれません。

それらを超越した立場で、自らの人生を捉えていたのではないでしょうか?

お盆のこの時期だけに

魂の永遠性を信じてみたくなりました。

さらに、アウレーリウスという高貴な魂の存在を知ってしまったからには

その彼との邂逅を果たしたいと願うようにもなりました。

彼自身、魂の永遠性を信じ、有徳の生涯を送った古人との魂の邂逅を

一途に願ったに違いありません。

非常にリアルな感覚でそう思っていたのだと感じます。

少なくとも彼は、後に続く者たちへ

有徳の生涯のための心構えを伝えることができたのだと思います。

最後に、

私が最も共感する彼の心の声を紹介して結びとします。

自分が誠実に、謙虚に、

善意をもって生活しているのを

たとえ誰も信じてくれなくとも、

誰にも腹を立てず、

人生の終局目的に導く道を踏みはずしもしない。

その目的に向かって純潔に、平静に、

何の執着もなく、

強いられもせずに

自ら自己の運命に適合して、

歩んでいかなくてはならないのである。