令和元年6月30日、
私の能の先生である武田宗典 氏の主演舞台を鑑賞してきました。
その舞台はGINZA SIX 地下3階にある観世能楽堂です。
銀座のど真ん中に、こんな静寂な空間があるのかというくらい
俗世間から完全隔離された研ぎ澄まされた場です。
能の演目は「隅田川」と「小鍛冶」でした。
「小鍛冶」での機敏で緊迫感のある動きも素晴らしかったのですが、
前半の「隅田川」があまりに素晴らしくて言葉になりませんでした。
母の情感が真に伝わってくるようで、文字通り圧倒されました。
芯のある美声には定評のある武田先生ですが
美声以上に心に響く深い世界が表現されていました。
会場にいた多くの人が涙していたと思います。
真に心が揺さぶられました。
能の世界の深さを再認識しました。
今回の「隅田川」がそれほど素晴らしかった訳としては、
武田先生の実力は勿論なのですが、
「隅田川」の作品自体の力もあるのだと思います。
そこで今週は、その作者 観世元雅(?〜1432年)を紹介します。
元雅という人は、能を大成させた世阿弥の長男ですが、
一般の方には馴染のない名前だと思います。
それもそのはず、本来、観世大夫3世だったのですが、
現系図では数えないことにされてしまったからです。
世阿弥が「子ながらもたぐひなき達人」と称したほど
優れた能役者であり能作者でした。
その元雅作の「隅田川」を名演で鑑賞することができて、
彼の天才性を肌で感じることができました。
世阿弥の作品とは違う深み、広がりを感じます。
親と子の狂おしいまでの愛情をモチーフにしながらも
在原業平とその古歌「都鳥(みやこどり)」を引き合いに出すことで
男女の恋慕にも結び付ける意図を感じます。
さらに、墓を前に御経をあげるシーンでは、
亡くなった子供の声が聞こえてきます。
あの世とこの世との連続性によって、
人間の心情世界の永遠性を表現したかったのではないかと感じました。
人間の心情世界は、縦軸(親子)、横軸(男女や友人同士)のみならず、
時間軸(あの世とこの世を超えた永遠)を有するのでしょう。
時空を超えて慕う心情世界があるのです(価値軸とも言えるのかもしれません)。
ところで、正規の観世大夫3世となったのは世阿弥の甥、音阿弥でした。
音阿弥は、元雅が生まれる前に世阿弥の養子となっています。
世阿弥から直接、芸を仕込まれて、
能の役者として才能を開花したようです。
それは、先の縦軸と横軸の表現者だったように思います。
一説には、能の大成者、世阿弥をも超える表現者だったとも言われていますから
相当な演技者だったのでしょう。
しかし、演技には長けてはいても、能を創作する力はなかったようです。
一方、能役者としても能作者としても才能を発揮した元雅は、
縦横の2軸のみならず時間(価値)軸をも制した存在だったのではないかと思います。
作品を遺そうとする人間は、永遠性を必ず意識しているものです。
当時の将軍、足利義教は、音阿弥を寵愛しました。
将軍自身が縦軸、横軸を重視する人間だったからなのでしょう。
一方、能役者であり能作者であった世阿弥は
時間(価値)軸をも意識した人間であり、元雅を命懸けで推挙します。
実際、将軍の意向を拒否したため、
死罪は免れたものの、佐渡に流罪となり非業の死を迎えます。
大変な迫害を受けることになりましたが、
能楽における先の3軸を守るために命を懸けたのだと思います。
元雅も、音阿弥を愛した足利義教将軍の圧迫を受け、不遇の中に死にました。
一説には、父、世阿弥を救うため(それは能楽を存続させる道でもありました)、
自ら望んで犠牲になったとも言われます。
元雅の死は、イコール後継者問題の終止符となるからです。
日本精神の深い陰徳を感じずにはいられません。
「隅田川」を鑑賞して、元雅の自己犠牲を確信しました。
私は能の初心者ですが、
能楽は現世で浮かばれなかった人々を鎮魂するための、
霊験なる儀式だと解釈しています。
それを日本人は600年以上、連綿と継続してきたのです。
世の安寧のために必要な社会装置だったのではないかと思うのです。
能の出発点である世阿弥、元雅の人生を思うとき、
人生の悲哀を感じずにはいられません。
彼らは当時、一世を風靡した人間であったはずです。
にも拘らず、その魂は非業の最期を迎えました。見事に遂げていったのです。
私はバカが付く程の楽観主義者を自認していますが、
「人生は悲しみに満ちている」ことも十二分に知っているつもりです。
否、人生の悲しみを知るからこそ、
己を楽観主義者たらんと強いるのでしょう。
ある意味、人間は悲しみを体験しそれを乗り越えることで
少なからぬ永遠性を獲得していくのだと思います。
近い将来、AIが台頭する社会になればなるほど
人間の心情世界に価値が集まるはずです。
その時、世阿弥、元雅が遺そうとした深く広い世界が
永遠の輝きを放つのだと思います。
2019年7月3日