2018年12月14日、悠翔会 佐々木淳氏 企画の
「在宅医療カレッジ特別企画2018」に参加してきました。
私の中では、ここ数年の年末の好例行事になりつつあります。
今年のテーマは、改めて「地域共生社会」を考える。でした。
感服するのは、毎回、本質的で旬なテーマを掲げることです。
主催者の佐々木先生の力量なのでしょう。
さらに、9人の論客をラウンドテーブルディスカッションの場に集め、
モデレータとしてイベントを仕切る姿は
さながら猛獣使いのようです。
それだけに、現場の生々しい意見が飛び交い、活発な議論が展開されました。
イベントそのものに関しては、既に多くの方がSNS上にまとめを発表しています。
私は、今回のキーワード「地域共生社会(ソーシャルインクルージョン)」からの創発を
まとめてみたいと思います。
真っ先に浮かんだのが、ケン・ウィルバーの『無境界』です。
まず、社会の発展に目を向けてみましょう。
今日の社会は、様々な専門家と専門特化した組織の存在によって、
以前では考えられぬような複雑で高度な内容を容易に遂行させています。
アダム・スミス以来の社会的分業に成功したためといわれていますが、
この社会的分業は、今日、益々盛んとなっており、
さらに多くの専門分化を促しています。
この分業の概念は、デカルト・ニュートンの要素還元主義*に由来するといえます。
「複雑な物事は、それを構成する要素に分解し、それらの個別(一部)の要素だけを理解すれば、元の複雑な物事全体の性質や振る舞いもすべて理解できるはずだ」と想定する考え方
科学を初めとする学問の多くがこのパラダイムのもとに発展してきました。
物事を部分に分けて考えることです。
「分析」という文字はまさにそのプロセスを表しています。
この「分ける」ということが大きな意味を持つのです。
『創世記』によれば、人類始祖アダムに与えられた課題の一つは、
自然界に存在する動植物に名前をつけることでした。
名前をつけるということは、
広く自然界を観察し分類することから始めなければなりません。
そして今日では、数多の動植物の存在が確認され命名されるとともに、
様々な研究対象となっています。
それはやがて自然界全体への「分析」に繋がっていきました。
要素還元主義は、デカルト、ニュートンの登場を待つまでもなく、
実はアダムの時代から連綿と継続されてきた人間の活動の根本であるといえるでしょう。
トランスパーソナル心理学の大家、ケン・ウィルバーは、
境界という言葉で、個人の心の問題から広く社会全体の病理を明快に説明しています。
「分ける」ことから始まった個人や社会の病理を、
境界という幻想を捨て無境界に至ることで解決しようと試みています。
境界の内側にあるものは、ある意味ですべて「わたし」であり、その境界の外側にあるものはそのすべてが「わたしではない」。
境界を設けることは対立をつくりだすことなのだ。このように、われわれが対立の世界に住んでいる理由は、われわれの生活が境界を設けるプロセスであるためである。・・・対立の世界とは争いの世界である。
本来、我々の生きる世界に、境界はなかった。そこに、我々の自我(エゴ)が、自ら境界を作り出し、その境界によって、自己と他者を分け、そこに葛藤と苦しみを生み出した。
(出典 ケン・ウィルバー:『無境界-自己成長のセラピー』、平河出版社、1986.)
境界は科学技術や学問発展の原動力になってきました。
医療、介護、福祉の分野においても
様々な職種が生まれ、
特化した機能を持つ施設や制度がつくられました。
物事を先に進めるには、極めて重要なプロセスです。
境界をつくることで、機能を洗練させてきたのです。
一方で、自他が分けられることから派生する優劣や比較が発生し、
心の葛藤の原因を生み出すことになります。
この何気ない境界という概念が、
実は我々の心に多くの歪みをもたらしていることに気づかされます。
境界は、単に自分と他人の間だけではなく、時に引き直しが行われます。
私たちが「わが国」や「わが病院」、「わが施設」というときには
境界は個人レベルではなくなり、ちょっと面倒な雑味を帯びるようになります。
同時に「他国」や「他院」、「他施設」、「他業種」という
一対のライバル関係の構図をもたらすようになります。
この目に見えない境界線が
私たちの意識に及ぼす影響は計り知れないといえます。
そして、
そのライバル関係にある境界外の存在との争いに勝つことが目的になってしまうのです。
ライバルを出し抜くことが境界内の人々の喜びであるということにつながってきます。
ケン・ウィルバーは、境界は人間が勝手に作り出した幻想に過ぎないといいます。
禍の元である境界の概念は幻想として捨て去り、
元の無境界の状態に戻ろうと訴えています。
私が強調したいのは、我々はよほど注意していないと
無意識下にこの境界線をあらゆる領域に張り巡らし、
自ら心の葛藤を作ってしまうのだという点です。
私自身、日々、自らを正直に見つめてみるならば、
数多の境界を心の中につくり出していることを告白せざるを得ません。
「地域包括ケアシステム」「地域共生社会」を実現していくには
『無境界』の概念が必要であると想起しながら、
イベント会場の東京国際フォーラムを後にしました。
2018年12月19日