10年の節目となる今年、MEDは進化を遂げます。
毎年、テーマを設定しているのですが、
新しい節目に相応しいテーマとして、今年はSHIN-SEIを掲げました。
SHIN-SEI とは、
- MED が宿す〝新生〟の思想
- MED が生む〝新星〟のビジョン
- MED が抱く〝新声〟の志
- MED が問う〝真誠〟の戦略
- MED が歩む〝真性〟の戦術
- MED が培う〝真正〟の技術
- MED に在る〝心静〟の人間力
これらすべてを包含しています。
私は新生の必要性を生命現象から学びました(一応、医師ですから…)。
この世界には、目に見えない数多の類似性が潜在しています。
建築家のクリストファー・アレグザンダーが提唱した
パターン・ランゲージ(pattern language)も
この世界が有する類似性故の必然なのでしょう。
私たちは自然界、特に生物や生命現象からたくさんの学びをしていかなければならないのだと思います。
しかし、そこには落とし穴があることも事実です。
「自然に学べ」「自然に帰れ」のスローガンのもと、
そっくりそのまま取り入れてはいけません。
類似でしかない点を踏まえておかなければならないのです。
(この辺の機微に関しては、別の機会に紹介したいと思います。)
さて、本日は新生にまつわる事例として、
人体の骨代謝について解説したいと思います。
ヒトが骨折した場合、骨形成にかかわる骨芽細胞(Osteoblast)が活性化し、
損傷部を修復していきます。
このような骨を『造る』骨形成の現象は、骨折時のみならず、日々、行われています。
一方で、骨を『こわす』骨吸収も同時に行われています。
破骨細胞(Osteoclast)が、常に老朽化した骨を破壊、吸収しているのです。
骨形成と骨吸収という相反する作業が常に同時に営まれることで、
骨は一定の形、大きさを保ちながら、絶えず『改築』が繰り返されているのです。
まさに、動的平衡といえます(http://tunagaru.org/akiyama-essay/118)。
最近、「国土強靭化計画」やポジティブ心理学によって、
レジリエンス(Resilience)という用語が注目されています。
「回復力」「復元力」あるいは「弾力性」などと訳されますが、
骨は正にレジリエンスの好例です。
ただ一方的に硬いというだけでは強靭にはなれません。
硬さだけを追求するやり方は、時に脆さをもたらします。
粘り強さと多様性を包含しなければ、
骨折などの急変時や外環境の様々な変化には対応できません。
常に活発に代謝し動的平衡を保つことで、
骨のみならず、人体は強靭でいられるのです。
私に言わせれば、人体はレジリエンスの宝庫です。
世の中が今になって、やっと人体や生命現象に秘められた智慧に気づき始めたというのが正しい見方でしょう。
私たちの考え方にもそれは当てはまります。
レジリエンスの視点に立てば、
一つの強味だけを伸ばすのではなく、
強味の尺度そのものを常に修正、新生させながら、生きていくべきなのです。
パラダイムというのは革命的な変化ですが、
それも日々の意識変革の積み重ねがそれを導くのではないでしょうか。
ここで聖句を紹介します。
「新しいぶどう酒は、新しい革袋に」(マルコによる福音書2章21~22節)。
秋に収穫し樽に仕込まれた新しいぶどう酒は、その後、盛んに発酵していきます。
一方、動物の内臓や皮で作った袋は、古くなると弾力性がなくなります。
盛んに発酵している新しいぶどう酒を古い革袋に入れると、
袋が膨れて破れてしまうのだそうです。
それでは、ぶどう酒も革袋も無駄になってしまいます。
新しいぶどう酒とは新生した人々であり、
新しい皮袋とは新しいパラダイム(生命論パラダイム)です。
そう、私たちが新しい時代を築いていくのには
新しいパラダイムと新生が必要なのです。
(パラダイムについてはこちらを➡http://tunagaru.org/akiyama-essay/123)
逆も言えるのだと思います。
新しい革袋(パラダイム)を準備することによって
新しく覚醒した、有意の人々を生み出せるのだと信じています。
ある意味、MEDは、
確実に到来する新しいパラダイムを説き続け、
たくさんの人々に新生を促す使命を有しているのだと思います。
「いのちの場から社会を良くする」
この言葉の真意を10/14に直接体験してください。
それでは、皆様
MED Japan 2018でお会いしましょう!
2018年10月10日