映画『家族を想うとき』トークイベントに参加しました。
特に期待せずに観はじめたのですが、
途中からぐいぐい引き込まれました。
イギリス映画ですが、
その背景は日本が置かれている状況そのものと感じました。
コンビニの営業時間の問題も再考の時なのだと思います。
家族の幸せを求めて仕事をしているにもかかわらず、
現代社会のシステムに絡めとられてもがく人間たちが描かれています。
フランチャイズという一見、効率的で魅力的なシステムが
時に人間を窮地に追いやってしまう構図があぶり出されていきます。
ターナー一家の様々な苦悩を映画によって共有することが出来ます。
どんどん窮地に追い込まれていく父親、リッキーが
実は私自身とも地続きであることを思い知らされます。
現代社会は誰もがこうしたリスクにある意味、むき出しで接しているような気がします。
母親のアビーの優しさに心を動かされました。
それ以上に、リッキーが救急搬送された際に
「私たち家族を舐めんなよ」と啖呵を切る姿には
私もターナー家の一員でもあるかの如く、
「そうだ、舐めんなよ!」と心の中で叫んでいました。
長男のセブの多感な感情も丁寧に表現されていました。
娘のライザも、細やかな心情表現によって見事な存在感を放っていました。
セブが警察に捕まって、父親が迎えに行った時の
警察官のセリフにも感動しました。
正義を信じている人間だけが言えるセリフだと思いました。
それは正にケン・ローチ監督の心の表出だったのでしょう。
彼の映画の特徴は、ドキュメンタリー調である点です。
役者も共通の背景を持った人を起用します。
彼の手にかかれば、熟練の俳優以上の存在感をスクリーン上に残せるのです。
システムは人間性を完全に救い上げることは出来ない、
そのことを実感しました。
システムによって効率化が図られ、生産性も向上することは確かです。
しかし、システムは完全ではないため、
常に人間による補完が必要になるのです。
人間のみが人間を細やかに見つめ、
システムとその構成員である人間を支えることが出来るのだと思います。
社会がシステムに依存し切るようになってはいけません。
社会の調和的存続のためには、
深い人間性とそれを信じ切れるたくさんの人間が必要なのです。
社会の不条理に対する時、私は悲しみを憶えます。
人生は深い悲しみに満ちています。
生きる悲しみを想わざるを得ません。
187話で書いた通りです。
社会の不条理に対し、
深い同情心、悲しみの目で捉えることが出来るのが
ケン・ローチ監督なのだと思います。
もう今週は、ケン・ローチ監督、一色で通したいと思います。
1936年6月17日、イングランド中部・ウォリックシャー州生まれ。電気工の父と仕立屋の母を両親に持つ。「キャシー・カム・ホーム」(66)で初めてTVドラマを監督、『夜空に星のあるように』(67)で長編映画監督デビューを果たし、『ケス』(69)でカルロヴィヴァリ国際映画祭グランプリを受賞。その後、世界三大映画祭などで高い評価を受け続けている。特にカンヌ国際映画祭では「ブラック・ジャック」(79)、『リフ・ラフ』(91)、『大地と自由』(95)が国際批評家連盟賞を、「ブラック・アジェンダ/隠された真相」(90)、『レイニング・ストーンズ』(93)、『天使の分け前』(12)が審査員賞を受賞。労働者や社会的弱者に寄り添った人間ドラマを描いた作品で知られる。その他、政治的信念を色濃く反映させたドキュメンタリー映画「1945年の精神」(13)などがある。前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』(16)は世界中で賞賛を受け、2016年のカンヌ国際映画祭で『麦の穂をゆらす風』(06)に続く2度目のパルムドールを受賞。同賞の2度の受賞はミヒャエル・ハネケらと並んで最多受賞記録である。前作を最後に引退を宣言していたが、今もなおイギリスや世界中で拡大し続ける格差や貧困の現実を目の当たりにし、今どうしても伝えたい物語として引退を撤回し本作を制作した。
監督のインダビュー動画があります。
彼らしさが出ていると思います。
骨太の社会正義の魂を
皆さんにも感じて欲しいです。
さて、耳よりの情報です。
第69回カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)受賞作
『わたしは、ダニエル・ブレイク』が
今なら、Amazon Primeで視聴できます。
食料無料給付所でシングルマザーが取ったとっさの行動シーンに
私は涙が止まりませんでした。
ここでも生きる悲しみを感じてしまいました。
社会派のケン・ローチ監督の義憤を感じてください。
お見逃しなく!
2020年1月8日