187. 生きる悲しみ―中村哲医師の訃報に想う

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社会医療人の星

12月4日、長年にわたりアフガニスタンで支援にあたっていた

ペシャワール会の中村哲医師が

現地で殺害されたというニュースが届きました。

突然の訃報に、日本は勿論、アフガニスタンでも悲しみが広がっています。

その訃報に私は「生きる悲しみ」を想わずにはいられませんでした。

私はいつの頃からか、「生きる悲しみ」というものを抱くようになりました。

人生とは悲しみを学ぶことであるような気さえしています。

中村氏については、数年前にEテレで放送された番組を通して

その思想と実践力にすっかり魅了されました。

1946年福岡県生まれの中村氏は、九州大学医学部を卒業され、

医療技術を磨いた後、1984年にパキスタン北西辺境州のペシャワールに赴任しています。

クリスチャンだったせいでしょうか、ミッション病院ハンセン病棟で

パキスタン人やアフガン難民のハンセン病治療を始めたそうです。

神経内科が専門だったことが関係していると思われます。

(というより、ハンセン病治療のための専門選択だったのかもしれません。)

同時に、難民キャンプでアフガン難民の一般診療にも携わっていたようです。

登山と昆虫採集が趣味で、1978年に7000m峰ティリチミール登山隊に帯同医師として参加した経歴があります。

噂によれば、中村医師が最初にパキスタンに行かれたのは

山と蝶に魅かれてのことだったそうです。

1989年よりアフガニスタン国内へ活動を拡げ、

山岳部医療過疎地でハンセン病や結核など貧困層に多い疾患の診療を開始しています。

2000年からは旱魃(かんばつ)が厳しくなったアフガニスタンで

飲料水・灌漑用井戸事業を始めました。

さらに2003年にはアフガニスタン東部ジャララバード近郊の

クナール川沿いのガンベリ砂漠に乗り込み、

クナール川からの水で用水路を建設し、土地を緑化する事業に取り組みました。

全長24キロの壮大な工事を15億円の寄付と現地人との協力でやり遂げています。

人件費が違うとはいえ、

日本で同様の距離の用水路を建設すれば500億円以上はかかるそうです。

実際に、砂漠が緑地化されている光景は目を疑うほどです。

自ら重機を操縦する中村医師の姿は、

完全に医師の領域を超えた存在です。神々しいほどです。

「生きる悲しみ」について書きます。

正義がまかり通らぬ時、決まって私は堪らない悲しみに襲われます。

私の中での悲しみの定義は、義が義としてまかり通らない時に表出してくる感情です。

大切な人との別離、特に死別の場合には、

もっと報われてしかるべき人であったという義を感じるが故に

私は悲しみを覚えるのです。

価値あるべきものがそう扱われない時も同じです。

そう考えると、人生は理不尽なことが多く、不条理に満ちています。

歳を重ねれば重ねるほど、「生きる悲しみ」を感じざるを得ません。

それが悪いと言っているのではありません。

むしろ逆です。

「生きる悲しみ」を感じるが故に、

その忸怩たる想いが人間をして

より良き社会構築に向かわせるのだと思います。

こうして人類の歴史は営々と築かれてきたのでしょう。

非業の死はその力を倍化させます。

時にそれは義憤という悲しみに昇華します。

ある意味、中村医師は、期せずして余命を献上することで

永遠のいのちを得たのかもしれません。

そう思うことでしか、悲しい現実を受け入れる術を私は知りません。

先に紹介した番組の再放送の朗報が入ってきました。

ETV特集・選 追悼 中村哲さん「武器ではなく 命の水を」

2019年12月12日(木) 午前0時00分(60分)  Eテレ

中村医師は、良い意味での深い悲しみを

私たちに遺してくれたのだと思います。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。