228. 千載青史に列するを得ん

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社会医療人の星

頼 山陽(1781-1832)は江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人です。

その書『日本外史』は、幕末の志士たちのバイブルと言われています。

変革の時代よりも少しだけ早く生まれたこの魂は

後世に志を繋ぐためにその書を遺したそうです。

彼の13歳時の漢文が、その熱き魂を伝えてくれます。

  十有三春秋

  逝く者は已に水の如し

  天地始終無く 人生生死有り

  安ぞ古人に類して

  千載青史に列するを得ん

陳腐になるかもしれませんが、敢えて訳を入れておきます。

「もう自分は13歳になった。天地は始めも終わりも無いが、

月日は水のように流れてとどまらず、人はたちまち生き、たちまち死んでいく。

ああ、生きているうちに昔の優れた人に負けない仕事をして、

永く歴史に名を残したい・・・。」

私はこの詩が好きで、

大学の学生寮の壁に貼っては、日々、対峙していました。

私の大学はちょっと変わった全寮制でして、

毎年末に学校長が学生舎の点検、視察をします。

ある年、私が山陽の詩の前で、直立不動で学校長を出迎えると

一目した彼は「千載青史に列するを得ん。良し!」と言って立ち去りました。

人生の大先輩と一瞬にして想いが通じました。痛快でした。

古の昔から、人間を奮い立たせる志は同じなのでしょう。

秋山和宏 当時の私 若かった。

当時の私 若かった。

第60話で少し触れましたが、

山陽は、「汝、草木と同じく朽ちんと欲するか」と自分を叱咤し、

学問に励んだそうです。

60.「山田方谷の気骨」
「山田方谷(やまだほうこく)」を知る人は少ないのかもしれません。 少しでもその存在を知る人であれば必ず、 敬愛の念を抱くのではな...

昔、「草食系男子」という流行語がありました。

今では、元気のない若者の代名詞として男女を問わず「草食系」といいます。

頼 山陽が生き、その思想を受けた幕末の志士たちが活躍した時代から

150年も経たないというのに、何という変容ぶりでしょう。

「ミーイズム」という用語もあります。

自分の幸福や満足を求めるだけで他には関心を払わない考え方、

自己中心主義と定義されます。

1960年代のアメリカの社会活動世代に対し、

70年代の風潮を背景に生れた考え方であるといわれます。

アメリカ・トランプ大統領の自国第一主義も同列です。

「草食系」の前には、この「ミーイズム」が幅を利かせていたように思います。

人間、誰しもエゴを持っています。

このエゴを、他者を気にすることなく解放した状態が「ミーイズム」であるように思います

一方、同じエゴが羞恥心を有するようになり、

「ミーイズム」への深い反省が過度に起こるとき、

「草食系」の感覚が生み出されるような気がします。

昨今の日本社会の縮み志向も多分に影響しているとは思いますが…。

「ミーイズム」も「草食系」も、エゴを解放するか、抑圧するかの違いだけであって、

私にはある意味、同質のエゴのように感じられます。

山陽の漢詩に戻ってみましょう。

そこにあるのは、エゴには違いないでしょう。

しかし、その中に瑞々しさと清々しさを感じるのは私だけではないでしょう。

「草食系」や「ミーイズム」に見出される屈折したエゴは、そこには感じられません。

山陽に限らず、幕末の志士たち、今日でも大志を抱く人たちに共通に見られるのは、

エゴの拡大ではないかと思うのです。

エゴを克服する際に、消去、縮小化しようとするのではなく、

また、野放図に開放してしまうのとは違う方法があるのです。

それがエゴの拡大です。

エゴを自己の次元を超え、家族や仲間内、地域から社会、国家、世界へと

次元を拡大させることで、エゴは正しきあり方を獲得できるのだと思います。

「大我」とも表現できるようです。

ですから私たちは、我欲を超えて謙虚であるために

エゴを押さえるのではなく、むしろ拡大させるべきなのです。

With コロナ、Postコロナの時代こそ、

「大我」が求められるのだと思います。

2020年9月23日