ジョージ・ソロスは、
「ヘッジファンドの帝王」「イングランド銀行を潰した男」の異名を持つ稀代の投資家です。
ハンガリー生まれのユダヤ人の彼は
ナチス・ドイツによる迫害を少年期に経験し、
祖国がソ連支配による共産主義国になると
「東欧の共産主義国を倒そう」と本気で計画したそうです。
一個人が共産圏を打倒しようと考えること自体が破天荒ですが、
ある一つの施策が大成功しました。
既にファンドマネージャーとした成功していた彼は、
私財をはたいて東欧諸国にコピー機をバラまいたのです。
東欧諸国にバラまかれたそれらのコピー機は
活動家たちのビラ(正義の主張)を国中に行き渡らせました。
それにより民主化運動が盛り上がり、東欧諸国がソ連から独立していったのです。
恐ろしいまでの戦略家です。
このエピソードから、彼が単なる金満家ではないことが分かります。
その後、オープン・ソサイエティ財団を創設し慈善家としても活躍しています。
かのロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学んだ哲学博士でもありました。
恐らく彼の本質は、一般に知られている投資家などではなく、
より良き社会を希求する哲学者だったのだと思います。
彼の提唱するSDR贈与スキームには惚れ惚れしてしまいます。
調べてみると、そんなソロスを創った親玉みたいな人物に辿り着きました。
それが表題の著者、カール・ポパーです。
ポパーと言えば、『開かれた社会とその敵』が頭に浮かびます。
『開かれた社会とその敵』は、
原題が「一般人のための社会哲学」であり、
「三人の偽予言者 プラトン、ヘーゲル、マルクス」「政治哲学批判」を経て、
最終的に先の書名に行き着いたようです。
第二次世界中の執筆である点やその書名の変遷からして、
20世紀の全体主義を社会哲学的に批判した名著です。
ただこの書は私にとってかなりの難物で、残念ながら読みこなせていません(トホホ)。
そこで手にしたのが表題の『より良き世界を求めて』です。
16の講演録です。必然的に繰り返しが多くなりますが、
その分、ポパーの主張がすんなりと頭に入ってきました(表面的な理解かもしれませんが…)。
何と言っても書名がいいですよね。シビレてしまいます。
ポパーは正しく知の巨人です。
彼の世界観、人間観に激しく同意します。
紙面も限られますので、
今回は「3つの世界(Popper’s three worlds)」を紹介するに留めます。
World 1 | the world of physical objects and events, including biological entities |
World 2 | the world of mental processes |
World 3 | our socially constructed collective world |
これだけでは、この概念の凄みが伝わらないかもしれません。
もう少し補足します。
例えば、自然数が無限に存在するという発見は、世界3の産物です。
なぜなら自然数の無限列は、正確には世界1にも世界2にも存在しないからです。
有限の世界1、世界2には、文字通り無限は実在しないのです。
際限なくどこまでも数詞を構成していく方法は、
世界2の言語によって案出した偉大なる発明なのです。
世界3の説明のために偉大なる哲学者イマヌエル・カントに登場願いましょう。
地動説から天動説への転換をコペルニクス的転回と表現しますが、
これは飽くまで世界2の話です。
カントも自らの哲学上の業績を「コペルニクス的転回」と称しました。
実はこれは世界3への飛躍を意味しています。
その飛躍を果たすために、ここでニュートン物理学に登場してもらいましょう。
ニュートン物理学は、完璧なばかりに天動説を証明する手段となりました。
カントは、ニュートン物理学は帰納的な観察の産物ではなく、
人間固有の思考の産物と考えました。われわれに固有の悟性と称しています。
「悟性は、その法則を自然から汲み取るのではなく、自然に対して法則を課すのである」
そして、ニュートンが悟性で以て物理学でそうしたように
カントはさらに倫理学において、道徳律を確立させたのです。
天動説がニュートン物理学で証明されたことで、
人間は世界の中心から外されました。世界2の話です。
しかし、カントによって人間は、自由意思で以て、再び世界の中心に戻ったのです。
これこそ、世界3の話です。御理解いただけましたでしょうか?
ポパーの思想の一端に触れ、
生きる勇気が沸々と湧いてきました。
次の言葉にも力を与えられました。
皆さんはいかがでしょう?
(長文にお付き合いいただき有り難うございました)
わたくしは、われわれ―知識人―は、ほとんどすべての貧困に対して責任があると確信しています。なぜなら、われわれは知的な実直さのために闘うことがあまりにも少ないからです。
他の人が、その生命を理念のために犠牲にすることを強いられる必要のない世界を追求することが、より良い世界を求めることの一部とならなければなりません。
最後に、もう一節(クセノファネスの言葉)
「神々は、初めから死すべきものに一切をあらわにしたわけではない。
とはいえ、時の流れのなかでわれわれは探求しつつよりよいものを見出す」
2020年9月16日