93.「能楽師 安田登氏が描くシンギュラリティ以後の世界」

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社会医療人の星

KEY TALK 勇気の言葉 というイベントにスタッフとして参加してきました。

主催の松下村塾 ONLINE SALONについては別の機会に触れるとして、

今回は、能楽師 安田登氏の度肝を抜くような講演内容を報告します。

安田登(やすだのぼる)

安田登(やすだのぼる)氏

1956(昭和31)年、千葉県銚子生まれ。下掛宝生流能楽師。下掛宝生流ワキ方能楽師。ワキ方の重鎮、鏑木岑男の謡に衝撃を受け、27歳のときに入門。国内外を問わず舞台をつとめ、小学生から大学生までの創作能や特別授業などの能ワークショップ、能のメソッドを採り入れた朗読ライブも公演、指導している。能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演も行う。また、日本と中国の古典に描かれた “身体性” を読み直す試みも長年継続し、身体のバランスを整えることを目的とするアメリカで生まれたボディワーク・ロルフィング施術者(ロルファー)の資格を取得。著書に『異界を旅する能』『身体感覚で「論語」を読みなおす。』他多数。

*安田さんの鼎談記事:
https://wired.jp/2017/06/10/yasuda-inanna/

「高砂」の一節が謡えるようになったので白状しますが、

実は私、数ヶ月前から能を習っています。

月2回、謡だけですが、

毎回、新鮮でありながら、何故か懐かしい感覚を覚えています。

魂が喜んでいるのが実感できるので

忙しい時間をやりくりして継続できています。

そんな訳で、能楽師の安田さんのお話には始まる前から興味津々でした。

控室の打ち合わせでお話を伺っているときから

良い意味で、私の予想とは違っていることが分かりました。

そして、実際の講演を拝聴して

次元の違う深遠なお話に度肝を抜かれたという訳です。

講演は、甲骨文字やシュメール語の話題から始まります。

紀元前1300年頃、殷の甲骨文字には

「羌族(きょうぞく)を生贄として捧げてよろしいか」という占い文があるそうです。

羌族の人々は殷の人々に狩られ、一定期間大切に育てられた後に、

生贄として殺されて心臓を神に捧げられたようです。

一度に300人も狩られたという表記もあります。

そういうことが数百年、千年以上も続いたようですが、

なぜ羌族の人々は、その運命を受け入れていたのでしょうか?

それは、

このころの羌族には「心」がなかったからではないかという大胆な説を唱えます。

今日、私たちの食用となる牛や豚が無言のまま屠殺されているのと同様だったと言います。

心がなかったが故に、生贄となる運命を疑問に思うことなく受け入れていたのです。

そして、殷の時代の甲骨文字には「心」という文字が見当たらないのだそうです。

文字が生まれた後に、時間の概念が獲得されました。

次に、時間があることで、未来に対する不安や、過去に対する後悔が生じるようになり、

やがて、心が生まれるようになったのです。

文字の発明→時間の獲得→心の創出 と繋がってくるのです。

ちなみに、そのような羌族でしたが、後に心を持つようになり

周となって殷を滅ぼしたのだそうです。

数千年前に心が生まれたという説は、

スティーブン・ミズンの「意識のビッグバン」の理論と一致します。

※55.『心の先史時代』に学ぶ

55.『心の先史時代』に学ぶ
ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)が、 われわれ現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)よりも 脳容積で上回って...

これは人類史における先行するシンギュラリティだったのかもしれません。

スティーブン・ミズン

シンギュラリティSingularity):人工知能(AI)が人類の知能を超える転換点(技術的特異点)。または、それがもたらす世界の変化のことをいう。米国の未来学者レイ・カーツワイルが、2005年に出した“The Singularity Is Near”(邦題『ポスト・ヒューマン誕生』)でその概念を提唱し、そのときは2045年であると予言した。

さて、本題はここからです。

2045年のシンギュラリティまでは、人類は心によって導かれた時代なのです。

しかし今や、心というOSでは乗り切れない事態が次々と生じています。

心を超えるものを人類は編み出さなければならないのだと言います。

否、正確には心を超えるものが自ずと誕生するのでしょう。

その道のりは、安易ではないはずです。

私たちは心を自明のものとして受け入れているので、

心が無かった時代のことも、心が上書きされてしまう時代のことも

簡単には理解できないからです。

そして、これまでの問いである、WHYやHOWが意味を成さなくなるそうです。

WHYやHOW、WHATは時間の概念に閉じ込められた問いでしかないのです。

それらを超えた問いを私たちは見出さなければならないのです。

この時に大切なのは、collective(集合的)なスタイルなのだと言います。

それらの答えは、博覧強記の安田氏にも分からないそうです。

ただ、氏の言葉の断章から

私は「時空を超えた意識世界」が重要になると直感しました。

先のミズンの説によれば、モジュール化され分離していた脳があるときに繋がって

高度な意識、心が生まれました。

それは個人の頭蓋骨の中の出来事です。

私の根拠の薄い直感では、シンギュラリティ以後の人類は

インターネットやAIの力を借りて、個々人の意識がつながって

「時空を超えた意識世界」を生み出して

価値観そのものを変えていくような気がしています。

数千年前の「意識のビッグバン」の際には個人の脳の中での変化でしたが、

次の人類のステージでは、

個々人がつながってグローバル・ブレイン化しているのかもしれません。

空間を超えるのは言うまでもなく、

過去、現在、未来という時間をも超えていくような気がします。

安田氏のお話を伺っていて、

そのような時代においては、

死の概念も大きく様変わりするに違いないと感じました。

心を超えるもの、時空の超越、…

それらによって、

人は必ず死すべき存在には違いありませんが、

死をも超えていくのかもしれません。

素晴らしいインスピレーションを与えてくださった安田氏に感謝します。

イベント会場のすべての人が、それぞれに大きな何かを感得されたように思います。

安田氏がこのようなスケールの大きな思想を持てるのは、

能楽師であることと無縁ではないのだと思います。

そして、今の私が能に少なからず魅せられているのも

このような世界観を直感しているからなのでしょう。

時に、人類の遠い未来に想いを馳せるのも良いものです。

2018年2月28日