239. 動画時代の到来

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社会医療人の星

「動画の時代が来る」

そんなことを言うと勘違いする方も多いかもしれません。

この場合、皆が共有する動画と言う意味ではありません。

それぞれ個人の興味に合わせた動画を楽しむことができる時代になるという意味です。

前者の代表がTVであり、

後者の代表がネット動画でしょう。

ですから、「動画の時代が来る」を正確に表現するなら、

「皆で共有する動画(TV)の時代が終わって、

個々人が満喫できる動画(ネット)の時代がやって来る」

ということになるのでしょう。

最近は、街中の看板も電車内広告も

設置された映像端末からの動画に置き換わって来ています。

街中、スクリーンだらけです。

スマートフォンの普及や5Gの登場も大きなインパクトとなるでしょう。

また、スマートスピーカー(アレクサなど)の発明も意外な追い風になると思っています。

人間同士のコミュニケーションの8割は非言語(ノンバーバル)によるといいます。

話し言葉はテキストに落とし込むことが出来ますが、

テキスト化の過程で大切なものの多くが失われてしまいます。

一方、動画には、テキストとしての話し言葉だけでなく、

間合いや抑揚、表情やボディアクションも盛り込まれます。

人間は、動画からであっても

ある程度の心までも感じ取れるのだと思います。

そもそもの情報量がテキスト情報とは比べ物にならないのです。

そうした優位性を背景に

これから益々、「動画の時代」のための環境が整っていくのでしょう。

そうした動画シフトは社会全体で起きるのは勿論なのですが、

このシフトは、シニアの世界で顕著になると感じています。

私は、これまで一社)チーム医療フォーラムの対象を

医療者から一般市民(特にシニア層)に変更し、

さらに、デジタル化、オンライン化を図ろうとしてきました。

その途上で見えてきたのが動画の重要性です。

故 西部邁さんがTVでこんなことを語っていました。

「最近は、活字を追うのが億劫になって

映画などの動画を受動的に観ていることが多くなった」と。

元東京大学教授で、真正保守の一大論客です。

著作には彼の俊英ぶりが溢れ出ていました。

西部さんについては、第90話 をどうぞ。

90.「西部邁を想う」
2018年1月21日、西部邁さんが逝去されました。 私自身のことですが、 この1~2週間の体調不良の原因が分からずにいました。 ...

「西部さんほどの知的エリートでさえ

最晩年には受け身の動画に行き着くのかぁ」と意外に感じたのと同時に、

その事実が妙に心に残っていました。

ここにきて、人間は最晩年には活字離れをしていくのだと思いました。

体力、気力の衰えと共に

情報収集、コミュニケーションの手段は、

どうしても受け身になっていかざるを得ないのでしょう。

人間が生きるためには、コミュニケーションが欠かせません。

この時、先の新しい意味での動画は

個々の趣向を満たし、最期までコミュニケーションの扉を開き続けるのです。

シニアにこそ、「動画の時代」の恩恵がもたらされるはずです。

とはいえ、動画礼賛とはいきません。

「可処分所得」と似た言葉に「可処分時間」があります。

私たちには、自由に使えるお金に限度があるように

自由に使える時間も限られています。

いくら動画の時代とはいえ、動画視聴に時間を際限なく使うことは出来ません。

そのとき大切なのが、

IPT(information per time)という考え方です。

これが低い動画は見られることはありません。

個々のニーズに応える、質の高いものであるべきです。

それでもシニアの場合、他の層に比べ、可処分時間は豊富にありそうですから、

やはりシニアには動画の恩恵が大なのです。

それにもう一つ。

シニアのコミュニケーションは受け身になっていくと述べましたが、

それを補うツールがあります。

先に触れた、スマートスピーカーです。

スマートスピーカーの進化が

シニアの動画シフトを容易にさせてくれるでしょう。

そんなビジョンを思い描き、

さらにそれを加速させることで

超高齢社会をより豊かにしたいと目論んでいます。

2020年12月9日