240. ベートーヴェン生誕250周年

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社会医療人の星

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは

1770年12月16日に生まれたとされています。

ということは、今日が250周年当日となります。

1827年3月26日に亡くなるまで、

56年間の苦悩と激動の生涯を生き切りました。

ちなみに、当時の音楽界で先んじて活躍していたモーツアルトは

1756年1月27日 生まれで15歳弱の年齢差があります。

モーツアルトは1791年12月5日に亡くなっていますから

ベートーヴェンは21歳近くまで天才音楽家を追うことになります。

事実、ベートーヴェンの父親は、息子を第2のモーツアルトにすべく、

幼少時よりスパルタの厳しい音楽教育をしています。

(「巨人の星」の星一徹の世界です。分かる人にはわかる。)

ベートーヴェン愛に溢れるユニークなサイトを見つけました。

ご参考まで。

第85話で書きましたが、

私はここ数年、大晦日はベートーヴェン三昧で過ごしてきました。

85. ベートーヴェン・振るマラソン
大晦日はフルマラソンに参加してきました。 もちろん、42.195キロを走った訳ではありません。 東京文化会館で毎年開催される恒例...

何と、交響曲の第1番から9番まで一気に演奏するという破天荒なコンサートです。

(今年はコロナ禍で中止のようです。)

曲間に休憩が入りますが、トータル約11時間の長丁場を

一人の指揮者が演じ切ります。

初代は岩城宏之さん、

今はその後を引き継いだ小林研一郎さんです(炎のマエストロ、コバケン!!)。

1番から順次、作品を聴いていくことで

私たちはベートーヴェンという人の生涯を辿ることが出来ます。

29歳、30歳で発表した第1、2番は若々しさに溢れています。

ナポレオンを賛美した第3番「英雄」は32歳での作品です。

誰もが知っている第5番「運命」は33歳で完成させています。

そして、41歳で、第7、8番を発表するまで

素晴らしい作品を次々と生み出しました。

1番から8番まで順次、聴いていって、いよいよ第九に移っていくのですが、

それまでの曲との完成度が明らかに違うと感じます。

これは、毎年のコンサートで必ず感じることです。

それもそのはず、

今回、調べてみましたら、

8番の完成の後、9番を発表するまでには

何と、12年もかかっているのです。

熟成に熟成を重ねた作品だったことが分かります。

不撓不屈の男のすべてが表現されているような気がします。

という訳で、ここからは私が彼を

不屈の男、ナンバーワンに挙げる理由を述べたいと思います。

私のベートーヴェン像は、不屈の男であり、イノベーター、革命家です。

音楽家としての彼のスタートは、ピアニストでした。

ところが若年発症型両側性感音難聴により聴力が徐々に落ちてきたため、

演奏家 ピアニストの道は断念せざるを得ませんでした。

音楽家にとって聴力を奪われること以上の残酷はないでしょう。

ピアニストとしての腕前も相当だったようですので

そのまま自暴自棄に陥っても仕方ない状況でした。

が、彼は立ち上がります。

不屈の男であり、イノベーター、革命家だからです。

そして、8番までの交響曲を完成(41歳)させ、作曲家としての名声を手にしたのです。

しかしながら、その後も難聴は進行し、

46歳時には完全難聴に、会話は全て筆談にせざるを得なくなりました。

第九の完成は53歳時でしたから、

全く音のない世界の中から

当時は禁じ手と考えられていた合唱を取り入れた交響曲を編み出したのです。

彼のイノベーターぶりを書き忘れていました。

彼は、それまで宮廷の中だけで演奏される、遺族のための音楽を

多くの人に芸術として広めることを若き日に志したそうです。

「宮廷音楽から市民のための音楽」を目指したのです。

そのために若きベートーヴェンは、

音楽家が宮廷お抱えの状態から独立する方法を発明するのです。

作曲した楽曲の楽譜の版権を出版社に売って収入を得たのです。

また、宮廷外の街中で演奏会を開き参加費を取ることを思いつきました。

「市民のための音楽」を志す彼は

5万円~3,500円という価格差の有るチケット制を導入したのです。

10倍以上の価格差の有るチケットには、

より多くの市民に音楽芸術を広めたいとする彼の心意気が顕われています。

多くの市民に音楽の扉を開いたのです。

これって、音楽界における革命ではないかと思うのです。

50歳夏、彼は肝臓を害し、生死をさまよいます。

黄疸が出るほどだったようですので、かなり重症です。

(肝臓は沈黙の臓器と言われるほど我慢強いのですが、

黄疸が出るというのはギブアップ寸前の状態です。)

腹水貯留もあり、何度もドレナージ術(腹水廃液)を受けていたようです。

肝硬変だったのでしょう。

しかし、ここでも彼は復活します。

不屈の男であり、イノベーター、革命家だったからです。

第九の構想は40代後半から持っていたようです。

「みんなのための音楽」を志す革命家としては

第九を完成させるまでは死ぬ訳にはいかなかったのでしょう。

シラーの「歓喜(フロイデ)に寄せて」に触発されて

第九 喜びの歌 を完成させます。

不屈の男であり、イノベーター、革命家としての彼の

人生の集大成だったのだと思います。

「芸術は世界を一つに結ぶ」

表現を変えれば、

「音楽芸術によって、全人類を兄弟に、世界を一つに結ぶ」という

彼の深い思想が込められていると思うのです。

その意味で、ベートーヴェンは音楽界だけの革命家ではなく、

世界全体を変革しようとした「自由・平等・博愛」の革命家に違いないのです。

2020年12月16日