経済学におけるトリクルダウン理論を御存じでしょうか?
正確には、富が低所得層に向かって徐々に流れ落ち国民全体の利益になるという仮説です。
精神科医であり思想家でもあった
バーナード・デ・マンデヴィルの著作『蜂の寓話』(1714年)が基になっています。
「欲望が少ないということは個人の徳としてはいいかもしれないが、社会全体の富にはつながらない。国民の富や栄誉や世俗的な偉大さを高めるには、むしろ強欲や放蕩が社会全体にとってのプラスになる」と主張しています。
中でも「私的な悪徳が公共的な利益である」というフレーズが有名になりました。
あまりにセンセーショナルな表現であるために
当時のマンデヴィルは相当な酷評を受けたそうですが、
デイヴィッド・ヒューム、アダム・スミスらに多大な影響を与えました。
アダム・スミスの「神の見えざる手」の着想は、
マンデヴィルに端を発すると言われています。
その「神の見えざる手」が、
資本主義の発展の原動力になったことは誰もが認めるところでしょう。
そうして、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる」という
トリクルダウン理論(仮説)に繋がったのです。
さて、この「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる」
すなわち「経済が成長すれば誰もがその利益にあずかれる」という理論は
本当に正しいのでしょうか?
以前、このメルマガで紹介したスティグリッツ博士は
この理論は全くのデタラメだと断言しています。
大企業や富裕層重視の支援政策を正当化するための理論に過ぎず、
富める者によって所有された富はそのまま独占され、
決して貧しき者にトリクルダウンされる(滴り落ちる)ことはないのです。
人間の欲望というものはそういうものです。
経済格差は広がるばかりで、最も豊かな国のはずのアメリカでその格差が顕著です。
また、一人一票の民主主義も
1ドル1票がまかり通る似非民主主義に成り下がろうとしています。
そのため、経済格差が民主主義の制度の力を使って
さらなる格差を生むという構造が出来上がりつつあります。
国民全体の幸福度は低下しつつあるように思えます。
今の社会、ゼロ・サム経済での奪い合いが常態化し、
さらに Winner takes all.の様相を呈しています。
そんな荒んだ社会を私たちは求めてきた訳ではありません。
チーム医療フォーラムのサポーター会員の皆様に送付した
「ツ・ナ・ガ・ル」最新号で新たな資本主義を提唱しました。
“健康資本主義”
です。
昨今の研究において、
「健康度の高い地域では健康弱者といえる人も少なからず健康になってしまう」
ということが確認されています。
一例を挙げますと、
ある地域で運動グループへの参加割合(月1回以上)が1割増えると、
非参加者の運動の行動変容が起きたり、閉じこもりが減ったりしていました。
医療の世界では、各疾病のハイリスクグループへのアプローチをどうしたら良いかが課題になっています。
何故なら、そうしたハイリスクの人々は健康意識が低く、
検診や学習イベントへの参加意識が極めて低いからです。
節制することを嫌い、医療の介入を拒んでしまう人たちが多いのです。
しかし、その地域で健康意識が高い人たちがより健康になることで、
不思議なことに健康意識の全くない人たちまでもが
少しだけ健康になってしまうのです。
人間は社会的な存在であり、互いに影響を与え合うのです。
これは物凄い発見です。
私は、思わず小躍りしてしまいました。
金融資本主義経済では成り立たなかった、
先のトリクルダウン理論が健康においては成立するようなのです。
表題の「シン・トリクルダウン理論」の「シン」は、
「新」であり「真」です。
これはもう、ゼロ・サムではなく、プラス・サム経済です。
みんなが、みんなで、健康になり、
みんなが、みんなで、幸せになる
そんな社会が叶うようなのです。
健康においてこそトリクルダウン理論は成り立つのです。
これを手掛かりに超高齢社会のあるべき姿を模索していこうと思います。
(2020年4月1日)