232. 進歩の罠

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社会医療人の星

第189話で「進歩の罠」について

後日、詳しく述べますと書いておきながら

そのままになっていました。

189. 成熟とは
2019年も残り1週間となりました。 至るところで、今年の総括が行われています。 新聞、テレビでも様々な切り口の総括を目にします...

そこで、今週は「進歩の罠」について書いてみます。

「進歩の罠」の本題に入る前に

イヴァン・イリッチ(Ivan Illich、1926-2002)による

『脱病院化社会――医療の限界』に言及しておきます。

脱病院化社会――医療の限界

本書は1979年の出版で、40年以上前に書かれたものですが、

当時から彼は、医療システムの患者生産工場化をズバリと指摘しています。

「医療機構そのものが健康に対する主要な脅威になりつつある」と断じたのです。

私がその書を最初に手にしたのは20年ほど前ですが、

「イリッチという人は医療を悪く言い過ぎるなぁ」と感じていました。

正直、彼に対して良いイメージは持っていませんでした。

それが今では、その慧眼に敬服せざるを得ないと思っています。

確かに、イリッチの警告が現実化しようとしているといえます。

一例を挙げましょう。

日本の高齢患者において病院での心肺蘇生(CPR)の生存率は約10分の1、

そして退院できるのはさらにその半数以下だといいます。

蘇生できなかった、助からなかった9割の高齢者、

その半分が病院や介護施設に永らく留まることになります。

彼の指摘は40年前よりも現在の方が正鵠を得ているように思います。

少なくとも、医療従事者はこのイリッチの警告を心に留めておくべきでしょう。

本題に入ります。

今日の科学技術文明は、ある意味、進歩という概念の上に築かれてきました。

進歩イコール正義と信じ、突き進んできた人たちが科学技術文明を推進してきたのです。

少しでも疑問を待った人や国は遅れを取らざるを得ませんでした。

先進国における科学技術への信奉ぶりは確固としたものであり、

先進国を追う発展途上国も同様な進歩観を有しているといえます。

むしろ、進歩への確信度は先進国を上回っているのかもしれません。

しかし、進歩には、良い進歩と悪い進歩があります。

一つのたとえ話をしましょう。

太古の昔、人間が自分たちの身体の数十倍もあるマンモスを狩猟するのは

さぞや大変なことだったでしょう。

素手では敵う相手ではなく、

集団のチームプレイで、石斧などの武器が必須であったはずです。

いずれにせよ、

人間がマンモス一頭を狩猟出来るようになったことは、明らかな進歩です。

一頭を獲得することで多くの人の空腹を満たすことができ,

食料としてだけではなく、毛皮や象牙類も多大な価値をもたらしたに違いありません。

これは良い進歩といえます。

最初の進歩を果たした後、人間はどうするかといいますと、

1回の狩猟で2頭を仕留めることを目指すようになります。

これも人間は進歩と考えるのです。

そして、1回の狩猟で、1頭よりは2頭、3頭、と

より多くのマンモスを効率良く獲物にすることが進歩であると信じるようになっていきます。

われわれは、それを効率と呼びます。

その効率を重視するあまり、最終的にはマンモスを群れごと追い込んで

崖から突き落として狩猟するようになります。

効率の観点からは極めて良い方法なのですが、

これは悪い進歩だといわれます。良いやり方とはいえないのです。

冷凍保存技術の無かった当時は、食べきれずに大量に廃棄せざるを得なかったことでしょう。

やがて、そのような乱獲は、逆にマンモスの群れに出会う機会を減らすことにつながります。

このような進歩は、実は悪い進歩なのです。

実際、マンモスが激減して、滅多にマンモスを見かけない状況になることが予想されます。

技術的には進歩したのかもしれませんが、長期的には不利益を招いているのです。

私たちは、マンモスの乱獲とそれに続く困窮を笑うことは出来ません。

先進諸国は食べ切れない程の食材を世界中から運搬コストを払って集めて、

かなりの量を廃棄しています。

世界には餓死者が出ている国もあるというのに、です。

今日の物流システムはこの10年で飛躍的に進歩しました。

わき道に逸れるかも知れませんが、日本は食料の6割を輸入しているのにも関わらず、

食べものの3分の1を食品廃棄物として捨てているそうです。

世界中から様々な食材を輸入して、様々な食事が食べられるようになることは、一種の進歩でしょう。

しかし、その延長線上に見えてくるのは、マンモスのたとえ話のような悪い進歩ではないでしょうか。

猛省すべきだと思います。

以上述べてきた悪い進歩は、科学技術への過信が根強く結びついています。

私たちが信じて疑ってこなかった科学技術への過信が、

やがて破滅へ向かわせる可能性があるのです。そのような状況を「進歩の罠」といいます。

これまで、数多くの文明が誕生しては自滅していった事実を重く受け止めなければなりません。

当初の飛躍の原因であった存在理由が、

ある時を境に自滅への理由に変化してしまうことがあるのです。

ある意味、これは栄枯盛衰の常なのだと思います。

では、この進歩の罠に陥らないためにはどうしたら良いのでしょう?

その答えは、

第229話で紹介したカール・ポパーの「反証可能性」

(間違いが証明される可能性)の概念にあるような気がします。

229. ダライ・ラマ14世と反証可能性
数年前、ダライ・ラマ14世が来日講演した際、参加の女性から質問を受けました。 「毎日毎日、世界中の紛争や凶悪事件の報道が後を絶ちません...

私たちは、「常に間違っているかもしれない」という謙虚な態度を

持ち続けなければならないのだと思います。

2020年10月21日