明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。
チーム医療フォーラム共々、本年も宜しくお願い致します。
元旦に素晴らしい初日の出をご覧になられた方も多いのではないかと思います。
皆様の元旦の決意が成就する一年となりますように…。
日本のこころを感じるために、
恥ずかしながら、日の出をバックに和服で撮影してみました。
さて、2019年最初のメルマガは、それにふさわしいものとして、
境野 勝悟 著『日本のこころの教育』の書評としました。
日本では昔から太陽を信仰していました。
農作業において太陽は極めて重要な存在です。
太陽があるから生命が育まれ、お米も野菜も太陽があるから育つし、
太陽があるから日々の生活が成り立つのです。
「日」は「太陽」、「本」は「元」のことです。
「日本国」というのは太陽の元にある国という意味です。
日本人は昔から太陽を最高に重要な存在としているから、
それを国名にも用いたのです。
本文中に日本人の定義があります。
「わたくしたちの命の原因が太陽だと知って、その太陽に感謝して、太陽のように丸く、明るく、豊かに、元気に生きる、これが日本人です」
100年ぐらい前までは、ほとんどの日本人が毎朝、太陽を拝んでいたそうです。
明治23(1890)年に来日したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の
『神々の国の首都』には出雲の地での朝の光景が描写されています。
それから今度は私のところの庭に面した川岸から柏手を打つ音が聞こえて来る。一つ、二つ、三つ、四つ。四回聞こえたが、手を打つ人の姿は潅木の植え込みにさえぎられて見えない。
しかし、それと時を同じゅうして大橋川の対岸の船着き場の石段を降りて来る人たちが見える。男女入り混じったその人たちは皆、青い色をした小さな手拭を帯にはさんでいる。彼等は手と顔を洗い、口をすすぐ。これは神式のお祈りをする前に人々が決まってする清めの手続きである。それから彼等は日の昇る方向に顔をむけて柏手を四たび打ち、続いて祈る。
長く架け渡された白くて丈の高い橋から別の柏手の音がこだまのようにやって来る。また別の柏手がずっと向こうの三日月のようにそり上がった華奢な軽舟からも聞こえて来る。それはとても風変りな小舟で、乗り込んでいるのは手足をむき出しにした漁師たちで、突っ立ったまま黄金色に輝く東方にむかって何度も額ずく。
今や柏手の音はますます数を加える。パンパンと鳴るその音はまるで一続きの一斉射撃かと思われるほどに激しさを増す。と言うのは、人々は皆お日様、光の女君であられる天照大神にご挨拶申し上げているのである。「こんにちさま。日の神様、今日も御機嫌麗しくあられませ。世の中を美しくなさいますお光り千万有難う存じまする」
たとえ口には出さずとも数えきれない人々の心がそんな祈りの言葉をささげているのを私は疑わない。
日本人のこの姿を見て
「世界にこんな素晴らしい国民はいない。私はここの国民になる」といって、
日本への帰化を決めたそうです。
当然ながら、伴侶にも節子という日本女性を選んでいます。
ハーンは、
「日本の女性の微笑みは世界中で一番美しい。どんなつらいことがあっても、日本の女性は常に美しい笑顔を浮かべている」と讃えています。
日々の暮らしの中で、
感謝の心を絶やさずに、つつましく生き続ける姿が美しいのでしょう。
ハーンが日本女性に感じた美しさを
私は日の丸の国旗にも感じます。
各国がたくさんの色や多様な記号を盛り込んで国旗にしているのに対して、
日本精神を究極に表現した素晴らしいデザインだと思います。
ところで、「こんにちは」の語源を御存じでしょうか?
いまでも、太陽のことを「今日様」と呼ぶ地方はたくさんあります。
高知の土佐では「こんにちさん」、新潟の刈葉では「こんにっさん」、岐阜ではこれがなまって「コンニッツァマ」と呼びます。
これらはいずれも太陽の意味なのです。
夏目漱石の小説『坊っちゃん』の中にも、「そんなことをしたら今日様(太陽)へ申し訳ないがなもし」というようなセリフがありますね。
そうです。
この「今日様」が、現代の挨拶で使われる「今日は」の語源だったのです。
昔は、どの地方でも太陽のことを「今日様」と呼んだのですから、「今日は」という挨拶は、「やあ、太陽さん」という呼びかけであったのです。
「おかあさん」の語源も太陽にあります。
「お日身(カミ)さん」➡「カカさま」「おっカア」➡「おかあさん」になったそうです。
日本の子どもは昔から母親を「太陽さま」と呼んで敬っていたのです。
そんな背景を持った私たち日本人は、
初日の出を見て一年の決意をするのは当たり前ですね。
私もいくつかの決意をしました。
繰り返しになりますが、
皆様の元旦の決意が成就する一年となりますように…。
2019年1月2日