「ツ・ナ・ガ・ル」23号がサポーターの皆様のもとに届いたと思いますので、
今週は巻頭言の「ツ・ナ・ガ・ル ことば」を解説してみます
(これを機にサポーターが増えることを念じながら…)。
この巻頭言で私が最も伝えたかったことは、和解のための手法です。
そして、それは それだけで世界平和実現のための鍵となります。
事が進展する時には、波風が必須であると思っています。
異なる意見がぶつかり合って、多少の対立があって後、
初めて良き意見や解決策が生まれるということを
体験されたことはないでしょうか?
「雨降って地固まる」のことわざ通りです。
対立のない無風の状態からは、創発は決して生まれず、
無味乾燥な世界が遺るだけなのでしょう。
西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一や
ヘーゲルの弁証法も同様のことを述べているのだと思います。
そして、真の和解や平和というものは、
発展的解決の連続なのだと私は解釈しています。
本題は、和解のための手法でした。
老子の言葉を平たく表現すれば、
「勝者が敗者に頭を垂れる」ということです。
「敗者が勝者に頭を垂れる」のではありません。
それでは当たり前過ぎて、何の変化も生まれません。
アドバンテージのある勝者が、敢えて敗者に頭を垂れて、
敗者のために尽くしていく姿勢を貫く時、奇跡が生まれるのです。
そう、真の和解が生まれ、平和が実現されるのです。
誤解を恐れずに申し上げれば、
真の和解には、この「勝者が敗者に頭を垂れる」という構図が必須なのです。
「ツ・ナ・ガ・ル」23号 p.3 に書きましたが
終戦の日、シュバイツァー博士が
聖書の一節ではなく、この老子の一節を以って、
これからの世界のために、敬虔なる祈りを捧げた
という事実を噛みしめてみてください。
大戦を体験した人類は、勝者と敗者、戦勝国と敗戦国の双極を持ったのです。
勝者の態度如何によっては、人類は大きく進歩できたはずでした。
驕り高ぶることのない勝者の存在が、世界・人類にとって重要だったのです。
シュバイツァー博士は、そのことを意識していたはずなのです。
「いかなる条件の下においても、
人間が、真の人間性をもって、人間に働きかける…、
このこといかんに人類の将来はつながっている」
(「ツ・ナ・ガ・ル」23号 p.19)
私たちは、様々な局面で
時に勝者に、時に敗者となります。
敗者となる時、私たちは気を引き締めて
頑張ることが多いのですが、
この世界に和平を数多ともたらすためには
勝者となる時の態度こそが、最重要なのだと思います。
最後に、先の老子の格言を佐藤栄作氏に教えた人物を紹介しておきます。
稀代の陽明学者 安岡正篤氏です。
「ツ・ナ・ガ・ル」読者にはお馴染みの
「一燈照隅、万燈照国」の言葉を遺された方です。
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