「巨人の肩の上に立つ」(Standing on the Shoulders of Giants)は、
Google scholarの標語として知っている方も多いでしょう。
「現代の学問は多くの研究の蓄積の上に成り立つ」という意味で、
12世紀のフランスの学者シャルトルのベルナールによる言葉です。
アイザック・ニュートンが1676年にロバート・フックに宛てた書簡の
以下の表現も広く知られています。
「私がより遠くまで見渡せたとすれば、それは巨人の肩の上に乗ることによってです。」
(If I have seen further it is by standing on ye shoulders of Giants.)
学問に限らず、あらゆる人間の活動は
先人の業績の上に成り立っています。
時に何もかも自分一人でやり遂げたと宣言する人を見かけますが、大きな間違いです。
生活習慣から思考においても、私たちは先人から多くのものを受け継いでいます。
厳密な意味でのクリエイティブで独立した人間はおらず、
生かされている存在に過ぎないことを自覚すべきでしょう。
そのような謙虚さを身につけることが大切だと思います。
しかし、その上で敢えて申し上げます。
積極的に先人の功績を踏み台にして前に進んで行きましょう。
先のGoogle scholarを持ち出すまでもなく、
今やそのための準備が整っています。
しかも私たちが肩を借りる巨人は複数であるべきです。
そうなると、複数の巨人の肩は、外的足場につながってきます。
外的足場とは、このメルマガでも何度か触れていますが、
アンディ・クラークが『現れる存在』で提唱した概念です。
「高度な認知は、推論を消散させるわれわれの能力に決定的にかかっているという考え方だ。すなわち、獲得した知識や実用的な知恵を複雑な社会構造の中に拡散させ、脳を言語的、社会的、政治的、制度的な制約が複雑に入り組んだ中に置くことで、個人の脳にかかる負荷を減らす能力である」
「人間の脳は、他の動物たちや自律的ロボットがもっている、断片化した、単一目的の、行為指向的な組織とそれほど違わない。しかし、一つわれわれが決定的に抜きん出ている点がある。…われわれの知能は、環境を構造化するために使われており、そうすることで、より少ない知能で成功を収められるようになる。われわれの脳は世界を賢くし、そうすることで、われわれは馬鹿でいられる! …人間の脳プラスこうしたたくさんの外部の足場作り(External Scaffold)こそが、ついには賢くて合理的な推論エンジンを構成するのであり、それを心と呼んでいる」
『現れる存在』の副題:「脳と身体と世界の再統合」が意味深です。
それ以上に興味をそそられるのが、著者であるAndy Clarkです。
どうでしょう? 超越してますね。
足場というのは、人間が生み出したすべてのもの
―道具や言語、貨幣、法律、道徳など様々なものを指します。
つまり脳の外に「道具=足場」を作り、
自分の脳の処理能力を外に出して負荷を下げることで進化してきたのが人間なのです。
脳容積でも体格でもネアンデルタール人に明らかに劣っていた
現生人類のホモ・サピエンスが今日の繁栄を築けた理由も
この外的足場の利用にあると思います。
表題の「巨人の肩の上に立つ」に戻りましょう。
私ならこう言い換えるでしょう。
Standing on the External Scaffold
外的足場をしっかりと自覚した上で、営々と発展させれば、
巨人の肩をはるかに凌駕する高みに
人類は到達し続けるのでしょう。
2018年11月28日