102. 映画『マルクス・エンゲルス』論考

社会医療人の星

今年の5月5日はマルクス生誕200年の記念日です。

そして、4/28 映画『マルクス・エンゲルス』が封切りとなりました(岩波ホール)。

若きマルクスとエンゲルスが出会い、

『共産党宣言』を書き上げるまでの激動の5年間が描かれています。

今週はこの映画(原題:THE YOUNG KARL MARX)の論考をしてみたいと思います。

「歴史にIfは禁物」といいますが、

もし若き日にマルクスが生涯の盟友エンゲルスと出会っていなければ、

世界の歴史は全く違っていたはずです。

その2人の人物が邂逅したのは、マルクス24歳、エンゲルス22歳の時でした。

当時のマルクスは、ボン大学を経てベルリン大学法学部を卒業、

翌年には『ライン新聞』の編集長を務めています。

非凡さが伺われます。

一方のエンゲルスは、父が紡績工場を営む裕福な家庭に育ちました。

日本の高校に当たるギナジウムを中退し、

早くから父親の仕事を手伝っていたようです。

兵役義務でベルリン近衛砲兵旅団入隊中に

ベルリン大学の聴講生として本格的学問(青年ヘーゲル派)に接するようになりました。

俊英のイメージのあるエンゲルスが、

実は系統的な高等教育を受けていないことに私は大変驚きました。

映画ではマルクスに他分野の書籍を薦めるシーンが有りますが、

ほぼ独学でその境地に到達していることを考えると

やはり卓越した才能の持ち主なのでしょう。

工場労働者の実地調査を敢行し、論文にまとめるという切り口も秀逸です。

ブルジョアの家に生まれながら、

労働階級者の生活苦に目をそらすことなく生涯を貫いたことに感動を覚えます。

原題には無いエンゲルスの名前を邦題に入れた理由が分かる気がします。

マルクスもエンゲルスも出会うまでにいくつかの論文を出していますが、

それをお互いが拝読しており、心密かに認め合っていました。

貧乏暮らしが長かったマルクスは、ブルジョアのエンゲルスに

当初、不快感を抱いていたようでした。

しかし、学問の深さが彼らを強力に結びつけたのです。

彼らの学問は、抽象や批判ではなく、直接的で実践的という特徴を持っていました。

映画ではさらりと紹介されていただけでしたが、

マルクスの一言が彼らの学問の本質を表現していたと思います。

哲学者たちはこれまで世界をさまざまに解釈してきただけである。

問題は世界を変革することである

The philosophers have only interpreted the world in various ways,

The point however is to change it.

後にこの名言は、ロンドン・ハイゲイト墓地にあるマルクスの墓碑となっています。

社会医療人の星

生涯の友を得てからの2人の躍進が痛快です。

「批判のための批判をしている場合か?」と大物思想家に噛みついていく、

その本気度に痺れました。

その姿勢を私も学びたいと思います。

もう一人忘れてはいけない人物がいます。

マルクスの妻で貴族階級出身のイェニー夫人です。

映画では、物言う妻として描かれており、

実際にもマルクス、エンゲルスと対等に議論を展開していたようです。

自由な考えを持つアイルランド人のメアリー・バーンズ夫人も好印象でした。

これらの若きチェンジメーカーたちが生き生きと表現され、

多くの人に静かなる勇気を与えてくれる映画に仕上がっています。

映画のクライマックスは、

「万国のプロレタリア、団結せよ!」のスローガン発布、

『共産党宣言』前文の冒頭:「ヨーロッパに幽霊が出る―共産主義という幽霊である」

第一章の書き出し:「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」

それらの言葉が2人によって次々と紡ぎ出されていく瞬間です。

物事の本質を知り抜いている者だけが持つ独自の感性は、

斬新かつ骨太の言霊となって噴出してきます。

さらに、それらの言葉には詩的要素が付与されています。

それもそのはず、ボン大学時代のマルクスは詩作に没頭していたのです。

社会への影響力という点で、

詩的要素というのはかなり重要であると私は思っていますから、

この点もマルクスに学びたいと思います。

今年はマルクス生誕200年であることは先述しました。

100年を迎える前年の1917年にロシア革命が起きています。

そのソビエトは共産主義を棄却していますが、

世界の何処かでは

200年を迎えて新たな変革が起きるのかも知れません。

さて、世界の歴史を変えていった『共産党宣言』ですが、

「正義者同盟」から「共産主義者同盟」へ

ステップアップする際の綱領として執筆されています。

私は、今のチーム医療フォーラムを設立する前に

任意団体の「チーム医療人フォーラム」を2003年に組織していますが、

やはり綱領が大切と認識し、「チーム医療人宣言」を発布しました。

もちろん、『共産党宣言』を意識してのものです。

若きマルクス、エンゲルスには遠く及びませんが、

変革にかける情熱だけは確かだったと思います。

稚拙ではありますが、それを紹介して締め括りとします。

設立趣意書

「チーム医療人」宣言

我々は、一体何のために医療行為をするのでしょうか。考えてみて下さい。そもそも、自分はなぜ医の道を歩き始めようとしたのかを…。私は、その答えは生きがい追求にあるのではないかと思います。

本来、人間には病める人を癒したいという本能があるのではないでしょうか。それはシュバイツァー博士の「生命への畏敬」の念に由来するのかもしれませんし、社会性を持つに至った人間が相互扶助の概念を無意識のうちに修得したためなのかもしれません。そのような癒しの本能も、ヒューマニズムの危機が叫ばれる現代においては静かに消え去る運命なのかもしれませんが、医の道を一生の仕事として選択した我々の心の内には消え去るどころか赤々と燃え滾って存在しているに違いありません。その本能に突き動かされ、医の道を自らのプロフェッショナルにまで高めようと志した我々だったのではないでしょうか。そして、より高次な本能が満たされるとき、我々は生きがいを実感することができるに違いありません。

生きがいに目覚めた医のプロフェッショナルたちが自らに最高基準を課しながら行う医療は、サイエンスとアートの両面において最高の結果をもたらすことでしょう。そして、次のことに気付かされるはずです。癒すという行為を通して、実は医療者自身が癒されているという事実を…。医療者の存在は、一方で癒される人たちによって支えられているとも言えるのです。支え合う貢献仲間であるという点では、医療スタッフ同士も同じです。職種、経験年数を問わず、スタッフのひとりひとりが唯一無二の存在であることに目を向けなければなりません。どんなに高度な医療行為も、それに続き、補完する医療行為が無ければ、「いのち」を守ることは出来ません。スタッフの存在は他のスタッフによって意味付けられ、保証されるのです。チームで活動することの醍醐味がそこにあります。私は、そのような人たちを「チーム医療人」と呼びたいと思います。そして、医療人の生きがい形成を支援することによって、医療の質の向上に貢献したいと考えています。さらに、いつの日か「いのちの価値」を体現する医療を実現させたいと思います。

そんな理想をこの「チーム医療人フォーラム」の場に思い描いてみました。「全体は、部分の和よりも大きい」と先人は言いました。さあ、勇気と誇りを持って、「チーム医療人」としての歩みを始めようではありませんか。

2003年9月27日
チーム医療人フォーラム代表
秋山和宏