ちょっと前の話になりますが、
平成31年2月14日-15日、東京・品川で開催された
第34回日本静脈経腸栄養学会学術集会(JSPEN 2019)に参加してきました。
大会長の福島亮治 帝京大学医学部外科学講座 教授の創意工夫が随所に感じられ、
素晴らしい学会でした。
参加者も1万1千人を超えたそうです。大盛況、大成功だったと思います。
私は、と言いますと、
地域連携・在宅栄養のポスターセッションの座長を務めました。
演題を拝聴していて感じたことは
在宅医療においての栄養療法の重要性です。
在宅医療の分野にも積極的な栄養療法が展開されてきているのを実感しました。
一方、同学会理事長の東口高志 藤田医科大学教授がしみじみと話されていたのが、
昨今の在宅医療の分野における栄養管理の消極です。
退院して家に帰ることが最優先されるために、
本来行われるべき栄養管理が犠牲にされてしまう例が多々あるのです。
栄養は最後の命綱です。
それを絶たれてしまうと、死期は早まってしまいます。
にもかかわらず、
栄養管理が時に罪悪視される風潮まで見られるようになっています。
<がん終末期の患者さんの事例>
患者さん:「多少の不安があるけど、懐かしい家に帰られただけでも
ほんと幸せだよ」
ご家族:「食事や栄養面での心配はあるけど、
何はともあれ家に帰って来られて良かったね、お父さん」
在宅医:「栄養管理は二の次になるけれど、
患者さんもご家族も喜んでいるから、良かった、良かった」
「終末期に栄養投与をするのは、
浮腫や胸腹水を増加させるなど
生体に負荷を強いるだけで良くないです」
病院主治医:「家で皆さんが満足に過ごされているようですので、良かったと思います。」
こんな論調で、在宅医療の栄養管理が疎かにされているようです。
確かにがんの最終局面ではギア・チェンジをして、
栄養投与を控えるべき時が来るのも事実です。
しかしながら、多くの在宅医療の現場で、
先の風潮による安易な割り切りがあり、
かなり手前で栄養管理が打ち切りになっているようなのです。
東口理事長が危惧されているのはこんな状況ではないかと思います。
しかし、栄養療法に精通している医療人たちにも
先の在宅医療における栄養管理の消極に対して違和感は持ったとしても
的確な反論が打ち出せないのが現状のようです。
つい最近の私もそうでした。
ノーベル賞経済学者のアマルティア・セン博士を御存じでしょうか?
Vol.96の書評で彼とその代表的理論である
ケイパビリティ・アプローチに触れました。
その時の予告通り、
もう少し詳しく、ケイパビリティ・アプローチを解説します。
日本語では、潜在能力アプローチと表現されます。
富裕度に代わる国や暮らしのゆたかさを分析する理論として構築されました。
個人や集団の自由、主体性・自由意思、選択肢の広さ、人間としての尊厳、人権を重視しながら「人々は・・・できるかどうか、実際に・・・できる自由(機会)があるか」を分析していくのが、このアプローチです。
次の5つの要素からなるとされます。
- 人の長所を評価する際での、真の自由の重要性(The importance of real freedoms in the assessment of a person’s advantage)
- 資源を価値ある活動に変換する能力が、個人によって違うこと(Individual differences in the ability to transform resources into valuable activities)
- 幸せを感じる活動は、多変量な性質をもつこと(The multi-variate nature of activities giving rise to happiness)
- 人の厚生を評価する上での、物質的なものと非物質的なもののバランス(A balance of materialistic and nonmaterialistic factors in evaluating human welfare)
- 社会における機会分布の考慮(Concern for the distribution of opportunities within society)
ちょっと、分かり難かったかもしれません。
では、発展途上国の少女の会話で以て説明してみましょう。
その少女は、先進国の支援によって、村の小学校に通えるようになっています。
<小学校に通っている途上国・少女の事例>
少女:「1年前から小学校に通えるようになって、字も読めるようになりました。
字が書けるようにもなりました。
本が読めてノートに書き留めることができるので
いろんなことが分かるようになりました。
今は勉強が楽しくて仕方がありません。」
「小学校に行くと給食が出て、1日1食ですがお腹一杯食べることが出来て
本当に幸せです」
少女の母親:「この子は勉強が好きみたいです。
こんなに楽しそうな娘の姿を見るのは親の喜びでもあります。
読み書きも教えてもらえて、
その上、ご飯まで食べさせてもらえるなんて本当に有り難いです。
娘は幸せだと思います。」
先生:「すべて満足です。先進国の支援の御蔭です。
子供たちにとって、これ以上の幸せはないでしょう。」
この子は本当に幸せでしょうか?
支援している先進国の人々は、「幸せに決まっている」と答えるでしょう。
この場合、少女も親も、先生もすべて喜んでいて、
現状に感謝し、満足しています。
ですから、殆どの人が「幸せになれて良かったね」と思うことでしょう。
しかし、セン博士はそうは言いません。断じて…。
その少女の可能性を考えてみてください。
潜在的可能性という意味でのことです。
例えば、彼女が運よくアメリカに行けて、
アメリカの一流大学に学ぶことが出来たとしたらどうでしょう?
先の状態から一変するはずです。
ケイパビリティとは、顕在化している可能性のみならず、
潜在的に持っている可能性をも含んでいるのです。
少女のケイパビリティは現状のままで充分果たされた訳ではなく、
支援する側は、潜在可能性を考慮してアプローチすべきなのです。
先の終末期のがん患者さんの事例に戻ってみましょう。
この時、ケイパビリティ、すなわち潜在可能性が
完全に満たされていると言えるでしょうか?
在宅でもさらに有効な栄養管理が出来て、
ADLやQOLの改善が望めるとしたらどうでしょう?
(実際に可能です)
JSPEN2019で私が担当したポスターセッションでは
在宅での消極的な栄養管理を吹き飛ばすような発表がたくさんなされていましたし、
栄養療法の活躍の余地は多々あるのです。
ケイパビリティの視点からは
現状のものは不十分な医療と言わざるを得ないでしょう。
ケイパビリティ・アプローチ
実は、あらゆる事物の価値を最大化する射程を有していると私は思っています。
セン博士は私たちにそんな時限爆弾的な仕掛けを抱えさせたのです。
いつも以上に力が入ってしまい
長文になってしまいました。
最後までお読みいただき、有り難うございました。
2019年3月20日